※閉店※いわとくパルコ1階〈民芸品ののや〉で、末永く付き合える民芸品を。【六日町】

かつて“肴町(さかなまち)”と呼ばれていた六日町の、いわとくパルコ本館1階にある〈民芸品ののや〉。ここでは必ずスタッフが実際に目で見て、手に取って、“良い”ものを仕入れます。創業者の意思を継ぐスタッフから、民芸品にまつわる話や、その品を作った職人の思いなどを聞きながら、お気に入りの一品を探すことができます。

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なつめ-natsume

1995年生まれ。青森県八戸市出身・在住の駆け出しライター/フォトグラファー。郷土愛たっぷりな3人組『海猫ふれんず』として、八戸圏域の魅力発信を中心に活動中。誰かが守り続けてきてくれた今ある地元を、今度は自分たちが守り、未来へ繋げることをテーマに日々成長していければと思います。

『海猫ふれんず』
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〈民芸品ののや〉のこだわりは現物主義にあり。

食を中心とした店が軒並び、かつては八戸藩の台所を預かり“肴町(さかなまち)”と呼ばれた六日町。三日町へと繋がる〈八戸屋台村みろく横丁〉のように下町の風情が残る部分もあれば、「本のまち八戸」を目指し開設された〈八戸ブックセンター〉もあり、歴史を守りつつも新しい風を呼び込む、活気あふれる町のひとつです。

そんな六日町ですが、昭和40年代には百貨店やスーパーの進出、飲食系ビルの建設などをきっかけに“八戸の新宿”と呼ばれました。複合ビル・いわとくパルコが誕生したのもその頃です。本館1階にある〈民芸品ののや〉はこのビルとともに、50年以上もの歴史を歩み続けています。

〈ののや〉では諸国民芸品を取り扱っており、陶器や磁器、タオルやお香、アクセサリーから郷土玩具まで、幅広く民芸品を揃えているところが最大の特徴です。和風雑貨をはじめとして、エスニックなものとしてはインド・インドネシア・中国・韓国などアジア諸国や、中東、中南米のものなどが店内に並びます。

各種民芸品の専門店は多くあるものの、こんなにたくさんの種類の民芸品を取り揃えているお店は珍しく、そのため県内外からさまざまな民芸品を求めて〈ののや〉を訪れる人もいるそうです。

なすが描かれた益子焼のお皿。

そんな〈ののや〉のこだわりは“現物主義”にあります。〈ののや〉で扱う品はスタッフが実際に物を見て、手に取り、触れてみてから仕入れているのです。栃木県の益子焼の窯元など、実際に民芸品が作られている場所へ行く際には、職人さんの話を聞きながら仕入れを行うそう。そのほか県外の専門問屋へ出かけたり、〈ののや〉に卸問屋が訪れその場で仕入れたりと、開店当時から現物主義を貫いてきました。新型コロナ流行により、現在はカタログやオンラインの展示会なども利用していますが、「良いものを届けたい」という思いは変わることはありません。

店を訪れる人の多くは昔から馴染みがあり、数十年来の常連客もいます。当時〈ののや〉に通う母に連れられていた子どもが、次は自分の子どもを連れてくる……といったように、親子二代で〈ののや〉に通い続けてくれる人もいるんだとか。

毎年えんぶりを見るために八戸にやって来たときに、必ず寄ってくれる他県の馴染み客もいるそう。

インドの絞り生地で作られた一点物の服を身に纏ったスタッフ。

〈ののや〉の仕事は民芸品についての知識はもちろん、仕入れのための勉強が必要となってくることもあり、民芸品が好きな人でなければなかなか勤まりません。もともと客として通っていた人が、民芸品の魅力に惹かれて、〈ののや〉のスタッフになったことも。

モン族刺繍布の財布(タイ)。

 

〈民芸品ののや〉を育てた、おかみさんと先生。

そんな地域の人々に愛され続けてきた〈ののや〉の創業者は、第47回(平成30年度)デーリー東北賞を受賞した造形家の、故・伊藤二子さん(1926-2019)。小学校の教員を経て、その後は造形家として抽象画を描き、八戸市美術館や青森県立美術館などで個展を行ったこともあります。スタッフの皆さんからは「おかみさん」と呼ばれ、親しまれていました。

「腰の低い方でした。教員時代はあまり長くないと聞きましたが、昔の教え子さんたちがよくお店に来ていましたよ」

「私はよくおかみさんに怒られていたんですよ。でも全部ごもっともなことばかりでね」

おかみさんがいた当時は商品への思い、言葉遣いや仕草、掃除のことまで、スタッフの生活面にも気を配り、指導してくれたそうです。

おかみさん手書きの〈ののや〉紙袋。

店名の〈ののや〉は布屋から転じたものだそう。おかみさんが店を切り盛っていた当時は、着物を仕入れていたこともありました。

そんなおかみさんが「先生」と呼んで慕っていた方がいたそうです。“戦後初の書道家”とも呼ばれたことのある、書家・造形家の故宇山博明さん(1913〜1997)。代表的な作品のひとつに、芸術性を評価され大英博物館に収蔵された『南部凧絵・金太郎五態』があります。

宇山博明氏筆、“蝋書”の〈ののや〉の看板。

「“本物を見なさい”と宇山先生はよくお話されてました。百聞は一見に如かずということです」

宇山博明氏筆、宮沢賢治の詩『雨ニモマケズ』。なんと芋版によるもの。

そんな宇山先生の教えが今の〈ののや〉の現物主義に繋がっています。おかみさんこと伊藤さんと、宇山先生の二人が築き上げた〈民芸品ののや〉は、今も二人とともにあるのだとスタッフは言います。

 

民芸品、それは生活の中にある美。

そもそも民芸品とはなにか、みなさんはご存知ですか?

民芸品とは、観賞用の美術品とは異なり、人々の生活の中から生まれ、地域に根ざした手工芸品です。職人が一つひとつ手作業で仕上げ、日常的に使っていくための実用性も兼ね備えています。表面や形の美しさも魅力のひとつではありますが、民芸品は全て使う人のことを考え、使う人への思いを込めて作られたものです。

「飾るよりもたくさん使って欲しい。使ってもらうために作られた物なんです」

一点物の美しい民芸品を購入すると、つい飾りたい気持ちになってしまいますが、もともとは人々に使ってもらうために作られたもの。たくさん使ってその質の良さを実感してこその民芸品なんですね。

 

移り変わる時代のなかで守り続けたいもの。

おかみさんと先生が育てあげた〈ののや〉は、変わらぬ姿のまま50年もの間、守られ続け、そこで移り変わる町の姿や人々のことを見つめてきました。そのことについて聞いてみると、「本当のことを言えば寂しいと思う気持ちもあります。ただ変わっていくことは必然だなって、受け止めていますよ。しかし、新しいことばかりがすべて正しいのか? と考えることはありますね」とスタッフは言います。その背景には民芸品に対する理解や需要が、時代とともに変化してしまった部分があるからです。

ミラーワーク刺繍(インド)。本来魔除けのために鏡が刺繍に入れ込まれるが、現在は大量生産のためプラスチックが使われることも多くなってしまった。

日用品の大量生産・大量消費が可能となったこの時代、最近は民芸品のその値段に驚く人も増えたそう。質の良い原材料の確保や、ひとつの品にかかわる人が多いこと、そして何より職人の長い修行の積み重ねにより、その成果品として生み出される民芸品は、確かに市場に出回る日用品よりお値段が張ることもあるそう。

人々の生活とともにあった民芸品。需要が少なくなれば、職人がいなくなってしまったり、ときにはその品自体が姿を消してしまうことも。何十年もの歴史が廃れてしまうかもしれない、そういった危機感が常にあるそうです。

購入品を入れる紙袋は手作りすることが、創業当時からのこだわりのひとつ。

時代の変遷とともに、この六日町もこれからまたさまざまな移り変わりを見せてくれるかもしれません。この町で50年以上の歴史を持つ、おかみさんと宇山先生が築いてきた店をこれからも守り続けていくスタッフたちが、その目で仕入れてきた“良い品”が集まる〈民芸品ののや〉。

「お客さまにもぜひ実物を目で見て、手に取っていただければと思います」

〈ののや〉では民芸品を選びながら、仕入れ先の職人の話や民芸品にまつわる話を聞くことができます。歴史深いこの店で、ゆっくりと民芸品の世界に浸ってみては?

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