まちの呉服店〈むらかね〉。フォトスタジオで記念の一枚を。【廿十三日町】

大正5年創業の呉服店〈むらかね〉。時代の変化とともに中心街を見守り続けてきた老舗です。和装のことならなんでもおまかせ! 購入、レンタル、相談から、2階のフォトスタジオでの撮影まで。あなたの大切な思い出を、和装で彩ります。

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小田桐咲-amy-odagiri

1996年生まれ。直感と勢いで生きる牡羊座。青森県八戸市出身。5歳から武術太極拳(カンフー)を嗜んでおり、2019年の全日本チャンピオン。2026年のあおもり国スポでの優勝を目指し、20208月にUターン。『海猫ふれんず』として地元の情報も発信中。育ててくれた街や人に感謝して、その恩を返していけるように活動していきたいです。
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廿十三日町交差点の角に店をかまえるのは、まちの呉服屋さん〈むらかね〉。ハナミズキ通りには、綺麗な着物と2体の八幡馬が愛らしく飾られています。

呉服店とは、和装を扱う店のこと。着物や帯だけではなく、髪留めやポーチなどの和装小物なども取り扱っています。本来「呉服」とは、絹織物のことを指す言葉だったのですが、時代の変化とともに、着物全般を「呉服」と呼ぶようになりました。

〈むらかね〉でも、和装や和装小物全般を取り扱っており、振袖や袴は購入だけではなくレンタルも行っています。2階にはフォトスタジオもあり、記念の一枚を〈むらかね〉だけで完結できそうです。そんな〈むらかね〉の歴史に迫っていきます。

 

大正5年創業! 時代の変化に対応してきた〈むらかね〉の歴史。

〈むらかね〉の創業は大正5(1916)年。現在は、4代目となる村井吉継(よしつぐ)さんが後を継ぎ、〈むらかね〉を支えています。

創業者は、吉継さんの曽祖父にあたる村井兼八(かねはち)さん。名字と名前から一文字ずつとって、「むらかね」だそうです。とってもわかりやすい。

当初は和装だけではなく、洋服や布団なども取り扱っており、総合衣料屋として商売をしていました。しかも店舗を持つのではなく、御用聞きとして、商品を担いで市内を回っていたそうです。

みなさんおわかりだと思うのですが、衣類は非常に重い。日本では、一般家庭に羽毛布団が普及し出したのは、昭和時代と言われていますから、当時の布団は綿布団。考えるだけでも重い……。すごい……!

その後、現在の位置と同じ場所に店をかまえ、ほとんど同じ場所で商売を続けてきたそうです。

提供:むらかね

しかし、洋服が庶民の服として台頭し始めたため、総合衣料屋から和装専門店へと切り替え。和装に絞った理由は、「専門店として長く商売を続けるため」だったのだそう。

現在ではまちの呉服屋さんとして、着物や和装小物の販売、振袖や袴の販売とレンタルを行っています。他にも、着物の着方教室や着物パーティーなどを開催するなど、着物をより楽しんでもらうための事業も展開しています。

また、店内の2階には素敵なフォトスタジオが併設されています。こちらはコロナ禍で、あらゆる式典が開かれなくなってしまったことから、2020年に新たに始めた事業だそうです。

提供:むらかね

〈むらかね〉の2階にこんな素敵なスタジオがあったなんて……! ちなみにカメラマンは吉継さん。いい顔を引き出してくださいます。

提供:むらかね

七五三や成人式、入園・卒園、入学・卒業など、人生の節目に思い出の一枚を撮影するのはいかがでしょうか。

 

着物にもトレンド? 和装ならではの魅力。

他にも多種多様なアイテムが! 和装小物をお探しの方はぜひ〈むらかね〉へ。

和装の魅力について、吉継さんにあらためて聞いてみると「日本の伝統衣装ではありますが、今でも専門店の商売が成り立つほどに、日本の日常に残っているところ」とのお答え。

確かに、特に成人式や卒業式など、人生の節目に着ることが多い和装。着ることで背筋がピッと伸びるような思いがするのではないでしょうか? 浴衣や作務衣、甚兵衛など、日常使いできる和装もまだまだ根付いています。今年は三社大祭も開催されますから、今からどんな浴衣を着ていこうか、ワクワクしてしまいますね。

伝統的な着物にも、トレンドがあるのだそう。

例えば振袖。振袖といえば、はっきりとした色味や派手な柄のイメージがありますね。

赤や深緑、青、黒といった色が多い印象。どれも素敵。うふふ。

ですが、最近はベージュのような淡い色の振袖が登場しているのだそう。

提供:むらかね

いわゆる「くすみカラー」のような感じですね。振袖を着る特別感と、くすみカラーのなじみの良さが、特別なハレの日でさえ、日常の地続きであるということを感じさせてくれるようです。

また、浴衣でも「半衿」と呼ばれるものが流行っているのだそう!

和装を着るにあたり、肌着と着物の間で着用する「長襦袢」と呼ばれる下着があります。洋服で例えると、下着の上から着用するインナーに近いものかもしれません。長襦袢は、着物を汚れから守る役割がありますが、衿元は皮脂や化粧で汚れやすい部分。ですから、長襦袢の衿元に、付け替え可能な衿をつけることで、簡単に取り替えられるようにしています。その衿の長さが着物の半分であることから「半衿」と呼ばれるのだそうです。

近年、この「半衿」を浴衣にも合わせるのが流行っているのだそう。衿元が別柄で華やかになりそうです。

着物の種類は多様で、本来であればどの場所にどの着物を着ていくべきか、というルールも存在しています。しかし、「楽しく着てもらうことが一番」と微笑む吉継さん。

ある程度のTPOは守ってもらいつつも、せっかくの日本特有の衣装ですから、身近なものとしてとらえ、楽しんでいくのがいいのかもしれませんね。

 

まちも伝統文化も同じ。変わらないものと守っていくもの。

店舗をかまえた当時の写真。

「当時はこの向かいにはイトーヨーカドーがあってね。そうかぁ、知らない年代なのか」と教えてくれた吉継さん。

筆者は〈チーノはちのへ〉世代のため、中心街に〈イトーヨーカドー〉があったり、〈緑屋〉、〈WALK〉、〈Rec.〉というファッションビルがあったことも知りません。変わっていくまち並みを、〈むらかね〉は今までずっと見守り続けてきました。そして、きっとこれからも。

時代の流れとともにまちが変わっていくように、日本の文化も少しずつ変容を遂げていくのでしょう。ですが、大切なものを失うことがないように。何を守り、受け継いでいくのか、現代に生きる私たちは、よく考えなければならないのかもしれませんね。

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