中心街で46年。〈喫茶ピーマン〉がつなぐもの。【十六日町】
ピザが食べたいときも、ちょっとコーヒーが飲みたいときも、音楽が聴きたいときも、八戸のフォークソング系の音楽仲間や学生たちはここに集まります。〈喫茶ピーマン〉です。この喫茶店には、至るところに「あの頃の思い出」が染み込んでいるようです。え? まだ行ったことがない? じゃあ今日は一緒に、思い出を見つけにいきましょう。
ピザが食べたいときも、ちょっとコーヒーが飲みたいときも、音楽が聴きたいときも、八戸のフォークソング系の音楽仲間や学生たちはここに集まります。〈喫茶ピーマン〉です。この喫茶店には、至るところに「あの頃の思い出」が染み込んでいるようです。え? まだ行ったことがない? じゃあ今日は一緒に、思い出を見つけにいきましょう。
創業昭和50(1975)年。46年にわたって八戸中心商店街で美味しいコーヒーとピザ、焼きカレーを提供し続けているのは、マスターの須藤憲男さん。青森県鶴田町出身。20歳の頃、いろいろあって八戸にやってきて、この店を開きました。「若い頃はコーヒーとは無縁だった」と語ります。
それでも46年間、こだわりのブレンドコーヒーを提供し続けるのには、ワケがありそうです。
「マスター、とりあえずコーヒーお願い」
お店の定番の「ピーマンブレンド」(400円)は、一杯一杯サイフォンで丁寧に抽出する“ずっと変わらない味”。コロンビア豆をメインに、4種類のコーヒー豆をブレンドして焙煎します。果実のようなほのかな酸味があって、苦味はひかえめ。あっさり飲みやすい味です。あらかじめ温めておいたカップに注がれたコーヒーを口にすると、程よい温かさが口から喉を通っていくのがわかります。
そして飲み終えた後しばらくは、その温かさと優しく甘い後味が口の中に残ります。こだわりを聞くと「それは教えられない」と一瞬躊躇しつつ、「大切なのは酸味と苦味。今は濃いめの焙煎で出す店が多いけど、うちは昔ながらの浅い焙煎で出している」と答えてくれました。豆のお持ち帰りも可能。100グラム810円です。
「うちのこだわりはやっぱりピザ!」
「海鮮」「カレー」「南蛮味噌」「黒ニンニク」など種類も豊富。
Sサイズは直径21センチ、Mサイズは25センチ、Lサイズは30センチです。
コーヒーとピザのセット(750円)もあります。平成元(1989)年から作り続けている、30年変わらないピザです。自家製の生地は、横須賀中央駅のパブで働いていた10代の頃に覚えた思い出のレシピ。
「うちのピザは、表面はカリッと、その後にモチっと。ピザは生地とチーズが基本。発酵をどこで止めるのかが大事。チーズは多めにしてる」
ピザには裏メニューもあるとかないとか。
「若い頃トヨタの学校に通ってて、カレーは食堂の思い出の味」
そしてもう一つのおすすめは焼きカレーは「トヨタの味」?? お店でアレンジしたカレーに生卵を乗せて、オーブンで焼いて出来上がり。サラダもついてきます。
こだわりを聞くと「トヨタの食堂で知った味」と答えてくれました。15歳からトヨタ自動車が運営する学校に通い、学食でうどんを頼んでは、その上にカレーをかけて、さらに卵を乗せて食べていたんだとか。
「もう50年前の話。カレーは思い出の味。卵を乗せれば辛いのが苦手でも食べられる」
青森の田舎から最先端のトヨタの学校に行ったあの頃は、何もかもが真新しくて楽しかったそうです。お店で出しているのはカレーうどんではないけれど、生卵が乗った特製の焼きカレーには若い頃の思い出が詰まっているようです。
「トヨタでは青森の観光名所のことも聞かれたけど、若かったから答えられなかった。だから、青森に戻って、地元を知るためにチリ紙交換をしながら県内を旅したこともあった」とも。
お店を開いたのは20歳の頃でした。
昭和50年当時、三日町にあった飲食店街「味の名店街」の一角に店を構え、今のヤグラ横丁に移転したのは平成元年の時でした。〈ピーマン〉という店名は、若い人にも覚えやすい名前にしたかったから。
店内には「らくがきノート」が置いてあります。来店した人が自由に見て、書き込むことができます。このノート、今でも続いていて、高校生や若い人たちが文章やイラストを書き残していきます。初めは壁の落書きから始まりましたが、昭和56(1981)年からノートを置くように。
昭和から続くSNSとは違ったつながりが、ノートの中に広がっています。ちょっと赤面しちゃうような内容もありますよ。
ヤグラ横丁に移転してから30年。ずっとBGMを響かせているのは、仲間が作ってくれた大型スピーカー。このスピーカーのおかげもあってか、お店には自然と音楽仲間が集まるようになりました。
そこではじまったのが、毎月第1・第3金曜日の『ゆるゆるライブ』。フォークソングの音楽仲間たちが緩く演奏を楽しみます。
中心街で『はちのへホコテン』がはじまると、音楽仲間が任意団体「ソラカフェ」を結成して店の前で路上ライブを運営するようになりました。
毎週日曜日の館鼻岸壁日曜朝市に店を出すと、こちらにも音楽仲間が集まるように。仲間たちがマスターのコーヒーを飲みながらフォークソングを聞く光景は、すっかり定番になりました。
「とにかく自分でできる範囲で参加できる。裏方も大事にする。椅子を並べるだけでも参加した気持ちになる。それで、仲間が増えてくる。これが大事」と須藤さん。
階上町在住のシンガーソングライター古屋敷裕大さんも仲間になった一人。10年ほど前、活動拠点を東京から地元青森に戻したところ、須藤さんと出会いました。ピーマンの常連の音楽仲間が「いい歌を歌うやつがいるんだよ」と、古屋敷さんとピーマンを繋いでくれたのです。そこから、古屋敷さんは県内での活動の幅を広げました。
古屋敷さんは「一番懐が大きいのがマスター。受け入れてくれるから、全部がつながって、線になり、渦になって今がある」と語ります。それでも須藤さんは、「この店はみんなの店だと思っている。俺は小間使い」と控えめに話すばかり。
こうやってコーヒーと焼きカレーをいただきながらマスターと話をしていると、また一人常連客が。
「今日は久しぶりにライブなんだよ」と、ライブ前の喉を潤しにマスターに会いにきます。
ギターを脇に置いて腰掛け、「マスター、コーヒー」
サイフォンからポコポコと音がしてきて、いい香りが漂います。
スピーカーからはナツメロが流れています。
「ごちそうさまー!」「じゃ、ライブ頑張って!」
お勘定を済ませて、ギターを抱えて店を後に……。
「人をつなげるのも、喫茶店の仕事」
須藤さんはちょっと遠くを見て、そう語りました。
マスター、今夜はもう一杯、頼もうかな。