中はどうなってるの?気になる〈河村毛皮店〉に潜入!そこはまるで、毛皮の王国だった。

「毛皮 洋品 寝具」の看板と、カラフルな日差しよけがシンボリックな小中野商店街の入り口にあるお店。 「中が気になる……」と思ったことがある方は、少なくないのでは? ちなみに私は幼少時代からこの前を通るたび、ずーっと気になっていました。 今回、はちまちの特集が【小中野エリア】ということで、河村毛皮店さんを取材したいと編集部に懇願。満を持して、潜入することができました。幸。

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松浦奈々-nana-matsuura

盛岡市在住。八戸市の浜育ち。広告代理店の営業経験を経て、2024年春からフリーのライター兼フォトグラファーに転身。
家族が実家を引き払い、岩手へ移住してきたことで今や生まれ故郷に帰る場所がなくなったため、月1回先輩の実家に居候させてもらいながら、はちまちの取材に挑む。レトロなものとフィルムカメラと、イカドンと八戸の空気が大好き。
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「田舎の毛皮屋さん」の店内は毛皮のオンパレード。
128歳の会社だって、知ってた?

学生時代の交通手段はバスだった私。街に出るときは小中野のこの通りを必ず経由していた。

そして車窓から「いったい、中はどうなってるの……?」とよく見ていた記憶が。

念願の河村毛皮店さんに入店。

店主の河村和男さんにアテンドしていただきながら、まずは店内をぐるっと一周。

それはもう、私の脳内は終始びっくりマークで溢れかえりまして、こんなにも歴史的な建物が、令和のこの時代に残っていることと、見たことのない量の毛皮の数々に言葉を失いかけました。

「こんなお店が、八戸に残っていたんだ」

後ほど紐解いてお伝えするのですが、河村毛皮店さんは128年前に創業。
その歴史は1896年、明治時代まで遡ります。

あとあとこの時代ってどんな時代だっけ? と調べてみたのですが、日清戦争の2年後、勝海舟が生きていた時代でした。

毛皮屋さんなのですが、ただの毛皮屋さんじゃない。

私には、博物館といいますか、文化財並に思えてなりませんでした。

何より、当時の話を和男さんから直接お聞きできたことが私は本当にうれしかった。

言葉でうまく表現するよりも、まずは写真をみなさんにお見せしますね。 

私はこの景色の中にいながら、亡き祖母がよく冬につけていた毛皮の襟巻きのことや、名前は忘れてしまったけれど、家族に連れられて行ったお店で見かけた剥製が怖くてよく見れなかったことを思い出していました。

おっと。
何だか今、画面越しにきょとんとしている若い方がテレパシーで見えました。

説明不足でしたね。
襟巻きとは「マフラー」のことです。
うちはタートルネックのことも「とっくり」というような家庭だったのです。
懐かしいな〜。

和男さんがいうには、お家で眠っていた毛皮を「リメイクしたい」「リフォームしたい」という方も多いのだとか。ベストに作り替えたり、持っているコートの裏地に付けたり、ソファーなどに敷くようなラグにしたり、さまざまなオーダーがあるといいます。

毛皮って、湿度や光、風通しなどに注意しないと劣化してしまうみたいで。
ここでまた、祖母の襟巻きのことが浮かびました。
確かウサギの毛のような、ふわふわとした白いものだったような朧げな記憶。
今頃、祖母がそれを大切に保管していたことがわかり、何だか胸が締め付けられました。

もしかすると、あなたのおばあちゃんの押し入れのなかにも
当時の毛皮が隠されているかも?

思い出のリレーとして、河村毛皮店へリメイクをお願いするのもよいかもしれません。

毛皮は、元々生き物。
雨に弱く、風通しのよい場所を好むそうなので、もし眠っている毛皮があったなら、風に当ててあげてくださいね。

 

シーズンオフって、何してますか?

取材させていただいたのは5月中旬。
脳裏にふと浮かんだ疑問を、和男さんにお聞きしてみました。

「シーズンオフって、何されてるんですか?」

「新商品の開発ですかね。縫製所なので、アイデア次第でなんでも作れてしまうんですよ」

ということで、新商品を見せていただきました。

素材は、マーモットやウサギ、キツネなどさまざま。

韓国のアイドルが、こういう帽子被っているの見たことありませんか?

昨年、韓国のアイドルグループのLE SSERAFIM(ルセラフィム)の日本メンバーのサクラが猫耳のような帽子を自分で編んで被っていたのがSNSで大バズりしていました。

それもあってか、最近動物の耳をモチーフにした帽子を被った方々を街でたまに見かけるようになった気がします。

もしかして、今年の冬にぴったりかも?

ということで、はちまちメンバーの仲間に被ってもらいました。

ボンボンがついてる〜(似合うなぁ)。

後ろはこんな感じ。

私も被らせていただきましたが、軽くて、あっっったかい。

いやー。驚くほど暖かかったです。毛皮ってすごいなぁ。

そして後ろの「おしゃれの店」の文字も、なんともよい。

これ、最初は面白いなぁ〜と思ったのですが、後半のキーポイントにもなってくるので、お見知りおきを。

 

「〜♩世界にひ〜とつだ〜けの皮〜」

冒頭から歌っちゃってすみません。

このようなオリジナル品を加工できるのは、河村毛皮店さんが縫製も手がけているから実現できること。

「うちは息子と妻と3人でやっているんですけども、 彼はいわゆる営業ですよね。ネット販売で窓口に立ち注文を取ったり、決済を受け取ったり、発送の連絡をしたり。

私は縫製、ミシンの担当で、こういう風な材料をお客さんのものに合わせて材料をカットしたり、縫ったりして、その皮を作って妻がそれを針と糸でこう、裏地を付けたり、取り付けたりするんです」

尻当て

冬になると、ファー取り付けの「オファー」で忙しくなるという。

それにしても、すごい帽子の数々だ。

「向こうにあるオリジナルベストを着てみてほしい」とのことで、試着してみることに。

「ベストになっているので、素肌で毛皮を感じられて気持ちいい」とキュートな笑顔のはちまちスタッフ。ものすごく軽いとのことでした。

 

明治29年創業の河村毛皮店の歴史が、想像以上だった

レトロ好きな筆者は、建物自体にも強く惹かれていました。店内を隅から隅まで見渡すと……

「人世の3分の1はふとんの中!」???????

えっと、こちらは毛皮屋さんじゃ……。

「和男さん、これは一体どういう……」

「うちはね、私は四代目なんですけども。もともとは海産物系のものを販売してて。そこから今度は呉服に。次は洋服へ移って、毛皮を取り扱って、布団も販売するようになった。婦人服や紳士服もあったときもあったよ。うちは時代とともに販売品が変化してきた

なるほど! 看板の謎が解けました。

店頭に置いてあったマッチには「紳士」の文字が。伏線回収です。

「そしてね、ここは漁業で栄えた町だった。館鼻とか白銀の方は砂浜があるので、船が接岸できなくて、すぐそこの新井田川のところに全部船が接岸してた。

だから、漁船ですごく賑わった。それがきっかけで、昔はここが『湊地区』と言われていた。

そうそう、ここって400メートルのところに銀行が5つあるでしょ? 青森銀行、青い森信用銀行、みちのく銀行、東北銀行、北日本銀行って。小中野にあるのに、支店名が『湊支店』っていうんだよ。

ここはすごい昔、船の人たちで栄えた、商業が栄えた、人がたくさん集まったところだった。それで船の人にむけて、布団とかそういう用品とかを販売するようになった

昔はここ、小中野の『新丁』っていうんだけども。小中野ってとても広いんだけど、ここは小中野の端っこのほうなんだよ。今小学校とか、中学校とかがあるあっちの方は田んぼだった。当時、家があったのはこの辺。新丁あたりだった。

昔はね、ここは『三戸郡小中野村新丁1番地』だったんだよ。ここはね、そういう歴史が深い町なんだ。そういうところで、商売をやらせていただいてたというね」

さっきの写真をよくみると、のぼりの文字に『新丁』と書いてある。

「昔はね、雪もたくさん積もってマイナス10度ぐらいだった。そこで防寒具を扱うようになって、そこでファッションを取り入れながら毛皮品を販売するようになったんだ」

まさに、時代の変遷とともにお客さんのニーズに応える「おしゃれの店」すぎました。
お店の端っこには、おしゃれなネクタイがずらり。ラインナップは日本製のものと、イタリア製のもので、そのデザイン性の高さに、驚いてしまいました。素敵なものがたくさんありました。Instagramに商品の一部が掲載されていたので、ぜひご覧になってみてください。自分へのご褒美や、プレゼントにおすすめです。

「販売価格は当時のままなんです。値上げすればって話なんですけどね」と息子さんの祐太朗さんは困り顔で優しく笑っていました。

お土産にネクタイを購入。袋、かわいい!!

そしてこのレジを見て……。しかも「1210円」の表示。現役で動くと聞いて、レトロマニア、それはもう血が騒ぎました。

それにしても和男さんのお話は奥が深かったですね。

この町に対しての愛やリスペクトをひしひしと感じられるお話でした。

そういえば、近くにあるカフェ〈saule branche shinchõ(ソウルブランチシンチョウ)〉には、店名に『新丁』の文字。

河村毛皮店の斜め向かいにある〈6かく珈琲〉は、明治28年に着工されたであろう建物をリノベーションしていますよね。

小中野という町を大切に思う気持ちが、あちらこちらに溢れているように感じられるのは私だけでしょうか?

今回のはちまち特集は【小中野エリア】
他記事でも、本記事で出てきたお話やそれに絡まる歴史的なお話が随所で登場してきます。

ぜひ、シリーズで読んでいただきたいです。

小中野、とってもいい町だった。
また、八戸が好きになった時間でした。

私の無茶振りにも応えてくださったお二人。思いつきですみません……。お付き合いいただき、ありがとうございました。

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