種は風に運ばれ、時代を超える。〈八戸市美術館〉で『風のなかを飛ぶ種子 青森の教育版画』を開催中。
2024年10月12日(土)~2025年1月13日(月・祝)まで〈八戸市美術館〉で開催されている『風のなかを飛ぶ種子 青森の教育版画』。本記事では、教育版画の起源やタイトルの種子の意味を紐解きながら、本展の紹介をしていきます。戦後の人々の祈りが、現代の私たちのもとまで届いていました。
2024年10月12日(土)~2025年1月13日(月・祝)まで〈八戸市美術館〉で開催されている『風のなかを飛ぶ種子 青森の教育版画』。本記事では、教育版画の起源やタイトルの種子の意味を紐解きながら、本展の紹介をしていきます。戦後の人々の祈りが、現代の私たちのもとまで届いていました。
2024年10月12日(土)~2025年1月13日(月・祝)まで、〈八戸市美術館〉では『風のなかを飛ぶ種子 青森の教育版画』が開催されています。
版画といえば、小学校の図工の時間。授業の一環として、彫刻刀で木版画をゴリゴリ彫った思い出がある人もいるのではないでしょうか?
実は、現在も行われている版画の授業は、「教育版画運動」という民衆運動がきっかけで文科省の学習指導要領に取り入れられることになったのだそう。しかも、教育版画運動を熱心に行った先生が、八戸市にいたのだとか! そんな青森県の版画の歴史を紐解く展示が、今回の企画展でした。
今ではおなじみとなっている学校での版画制作ですが、学習指導要領に盛り込まれたのは、1961年のこと。戦後の日本では、戦争の反省から、新たな国のあり方を模索していました。人々は皆、二度と戦争による苦しい思いをすることがないよう、お互いが平等に話し合うことができる自由で、平和な社会を願っていたのです。
八戸市立湊中学校 養護学級生徒による《死の灰をかぶった第五福竜丸》。《虹の上をとんだ船はどんなことにであったか》のなかの一枚。第五福竜丸は、1954年にマーシャル諸島ビキニ環礁で、アメリカがおこなった水爆実験により被ばくし、乗組員23人は全員被ばくした。
版画を通じた“人づくり”をしていく教育方法への可能性を見出した人物が、大田耕士(おおたこうし)です。彼が教育版画を広めたことで、1950年代後半には「教育版画運動」として大きな盛り上がりをみせました。
大田はあるとき、スイスで刊行された世界中の子どもたちの版画作品を紹介する雑誌『風の中の種』を知りました。そこからインスピレーションを受け、版画を「タンポポの綿毛のように、風の中を飛ぶ種子のようなものだ」と考えたそうです。
戦後版画運動が始まった当初は、民衆へ社会的メッセージを伝えるものでしたが、教育の一環として用いられるようになった版画。時代の移り変わりとともに、形を変えながらもその思いを繋いでいく様は、まるで空をどこまでも飛んでいく種子のようですね。
本展のタイトルである「風の中の種子」は、大田のこの言葉から由来しています。
それでは、青森県の教育版画の種子はどこから生まれ、どこへ飛んでいくのでしょうか。本展は青森の教育版画の始まりである種子と、今までの発展の経緯、そしてこれから飛んでいくであろう未来の種子の形を示し、全5章で構成されています。
「種の章」「芽吹きの章」「開花の章」「風の章」「時の章」の5章からなる本展を順に紹介していきましょう!
「種の章」では、青森県の教育版画の種子、つまり原点となった今純三(こん じゅんぞう)の作品から始まります。今純三は、日本を代表する銅版画家のひとりで、青森美術史にとっても重要な人物なのだそう。
本当に版画? と思わされるほど、細部まで描かれている。すごい。
今純三は学校の先生を育てるための学校である青森県師範学校の教員でした。のちに版画家や先生となった教え子たちは、慕っていた今純三の思いと共に、次の時代へと版画教育を繋いでいきました。
教え子たちが活躍していくことで、青森の教育版画の種は芽吹いていきます。なかでも、弟子のひとりである江渡益太郎は、熱心に教育版画を普及させていきました。1956年には、日本教育版画協会の大田耕士を講師に招いて『第1回青森県教育版画講習会』を開いています。
「芽吹きの章」では、当時に活躍した版画家の作品や、教育版画の初期に盛り上がりを見せた生活をテーマにした作品が展示されています。そのなかには、棟方志功の作品もありました。
ちなみにこちらは八戸市公会堂の緞帳の原画なのだそう! 公会堂に行くときにチェックしてみたいと思います。
江渡が開催した『第1回青森県教育版画講習会』で強い感銘を受け、熱心に教育版画を行った先生のひとりが、坂本小九郎です。「開花の章」では、青森県の教育版画を大きく発展させ、開花させた人物である坂本小九郎の25年の軌跡が展示されています。
初期の坂本小九郎は生活をありのままに彫ることを大切に指導していました。海が近い地域に住む生徒は漁師の生活を題材にしたり、造船所の近くに住む人は船の版画をつくったりと、身近なものをテーマに彫った版画作品が並んでいます。
坂本は、版画の制作過程に、作品テーマの対象となる人物へのインタビューを取り入れました。生徒たちは、海を相手に生きることの厳しさや死と隣り合わせで生きる覚悟を持った漁師の姿、残された者の悲しい姿を目の当たりにしながら、その人物の内面的な世界、希望や美しさを表現していきました。
見たときに率直に思ったのは、白黒の版画ということもあって、厳しさや悲しみなど、どちらかというとネガティブな感情が引き出される作品であるということ。ですが、当時の中学生たちが、リアルな生活・感情と向き合って作品制作に臨んだと思うと、涙が出てくるようです。
本章の後半では、八戸市立湊中学校の養護学級の生徒たちの作品が並びます。細かく彫られた作品や大きな作品は見ているものを圧倒する雰囲気がありました。
坂本は美術の他に国語と理科も教えていたので、授業での学びを生かして、空想の世界をモチーフにした作品も登場していきます。前半とはうってかわったメルヘンな雰囲気もまた魅力的。みなさんの好きな作品はありましたか?
そして1975〜1976年にかけて、湊中学校の生徒たちは、それぞれ4枚組となる2つの共同制作『虹の上をとぶ船総集編Ⅰ・Ⅱ』を作り上げます。とっても大きい。
『虹の上をとぶ船総集編Ⅱ』のなかの1枚である《星空をペガサスと牛が飛んでいく》は、宮崎駿監督の映画『魔女の宅急便』の劇中画のモデルとなりました。大田が宮崎の義理の父だったため、宮崎も教育版画運動に協力していたことがきっかけだったそう。画集『虹の上をとぶ船』を知った宮崎は、作品を映画に登場させました。
『魔女の宅急便』では、作中に登場する絵描き・ウルスラが主人公・キキをモデルに、この作品をモデルとした絵を描いています。
そして、展示室の中でも最大サイズの《虹の上をとぶ船完結編》は、必ず見てほしい作品のひとつです。13人の生徒がそれぞれ描いたイメージが呼応しあい、大きな作品であっても一人ひとりの個性が浮かび上がるような作品となっています。
養護学級の生徒らは、それぞれに何かしらハードルがある場合がほとんどでした。それにより周りからは偏見に満ちた目で見られていたことが多かったといいます。しかし、教育版画の制作によって多くの反響を呼び、彼らは自信や希望を取り戻し、人と人との支え合いがあれば、どんな困難も乗り越えていけることを学びました。そんな彼らの思いが作品に込められているのだと思います。
複雑な多様性を持った現代社会において、多様な表現が同時に共存し合う彼らの作品を見ていると、どんな人同士であっても、互いに手と手を取り合って、ありのままに生きていくことができる社会を実現できるのではないかと、そんな気持ちになってきます。
「風の章」では、全国の教育版画を盛り上げた大田耕士を、青森とのつながりや年表、人物相関図などで、より深く知ることができます。
八戸の教育版画は、1980年に坂本小九郎が宮城県へ移ったことにより、次第に衰退していきます。また、教育版画運動も図工や美術の授業数の減少などで、版画に関わる時間も減少していきました。しかし「絵のうまさだけでなく、生活をよく見ること」「自分だけの視点で細部までよく見ること」「個性を重視して競争を追い求めすぎないこと」といった教育版画の根底にある思想は、「種子」となって現代の私たちのもとへ受け継がれています。そうして届いた種子たちを、私たちはどのように次世代へ繋げていけるでしょうか。
「時の章」では、その問いに対するひとつの答えとして、版画をルーツに持つアーティストユニット「THE COPY TRAVELERS」(以下、コピトラ)と、募集によって集まった小学校2〜6年生の5人の子どもたちとの共創作品を展示しています。
《5人のコピササイズ鳥瞰図》ではリサイクルショップで集めた素材などを、さまざまな手法で何度もコピーを繰り返し、各々が作品を制作。《なんでも!準備中?5つのドリームコピパラシティ》では、八戸の地図に見立てた土台を分割し、それぞれがつくったパーツやオブジェを配置しました。最後に土台を合体して道路や橋を使って繋ぎ合わせ、子ども達が思い描く“パラレルシティ”としての八戸を作り出しました。
今回の作品を制作する前に、コピトラと子どもたちは館鼻にある展望台〈グレットタワーみなと〉で八戸を眺め、八戸の「現在」をよく観察したといいます。そこから膨らませたイメージをもとに素材を集め、作品制作へと進めていきました。
学校での印刷がガリ版からコピー機へと変化していくように、時代によって手法や手段は変化していくものです。いわゆる版画の制作手法とはまったく異なりますが、「生活をよく見ること」「自分だけの視点で物事を見ること」といった教育版画の本質を受け継いだ、現代版の教育版画ともいえるでしょう。
また、『虹の上をとぶ船総集編Ⅰ・Ⅱ』をテーマに、音楽家の井川丹(いかわあかし)が制作した音楽作品を楽しむことができます。坂本は『虹の上をとぶ船総集編Ⅰ』には音楽が、『虹の上をとぶ船総集編Ⅱ』には時間が流れていると語ったそうです。
2023年に開催された『美しいHUG!』では、『虹の上をとぶ船総集編Ⅰ・Ⅱ』の各作品1時間ずつと、それらを要約した「音楽の総集編」である1時間の計9時間にわたる音楽作品が、ジャイアントルームにて展示されていました。
今回は、8作品パートは15分に再構成され、会場内の音楽プレイヤーで楽しむことができます。また、18時〜19時の1時間は「音楽の総集編」パートが展示室内で再生されますので、音楽作品を聴きながら作品と触れ合うのも素敵ですね。
チケットを購入すると、作品のカードがランダムでもらえます。全4種類。
学校の授業でしか関わったことのない版画でしたが、大人になってからでも親しみを持つことができる展覧会でした。目の前の物事を、自分の視点を持ってとらえた作品たちは、現代の子どもたちにとっても必要な視点なのかもしれません。
日頃から子どもと接する仕事をしている筆者ですが、これからの未来を生きる子どもたちは、非常に難しい社会を生きていかなければならないと感じることが増えました。グローバル化が進み、人々の権利や多様性が受け入れられるようになった一方で、SNSやインターネットなどの仮想空間では、常に他者との比較・競争が行われ、他者を羨み、妬み、苦しむシステムが整っているようにさえ思います。
そんな現代だからこそ、本展を通じて「教育版画」の本質が伝わってほしいと思いました。現実の生活をよく見て、社会の本質を認識すること。自分だけの視点で細部をよく見て表現すること。個性を重視して競争だけを追い求めないこと。仲間と手と手をとりあって、協力してひとつのゴールへ向かうこと。
戦後版画運動の起源は平和への祈りでした。その思いは今を生きる私たちも変わりません。どうかこれからを生きる子どもたちが、争うことなく、平等に、平和に、他者を受け入れ、支え合いながら生きていける未来をつくっていきたい。「種子」を次世代へ繋いでいくのは私たち自身なのです。
※執筆にあたり『風のなかを飛ぶ種子 青森の教育版画』展覧会図録を参考にし、引用した部分があります。
2024年10月12日(土)~2025年1月13日(月・祝)まで〈八戸市美術館〉で開催されている『風のなかを飛ぶ種子 青森の教育版画』。本記事では、教育版画の起源やタイトルの種子の意味を紐解きながら、本展の紹介をしていきます。戦後の人々の祈りが、現代の私たちのもとまで届いていました。
〈八戸市美術館〉では、2024年7月6日(土)〜9月1日(日)の期間中、『tupera tupera のかおてん.』が開催されています。「かお」をテーマに掲げた本展は、見て、探して、貼って、体験して楽しむ企画展。ドキドキ、ワクワク、ニヤニヤが止まらない『かおてん.』を見たあとのあなたは、ありふれた日常のワンシーンがすべて顔に見えてしまうかも!
2024年4月20日(土)〜2024年6月24日(月)まで、〈八戸市美術館〉では二度目のコレクション展となる『展示室の冒険』を開催中。本展では、前回のコレクション展のときには展示されなかった作品たちが並んでいるだけではなく、前回とまったく異なるコンセプトで作品を楽しむことができます。あなたも、〈八戸市美術館〉の冒険にでかけてみませんか?