これぞ町中華の正統派オムライス! 創業47年の町中華〈洋光食堂〉で味わう、懐かしの味【小中野】

1977(昭和52)年から営業している〈洋光食堂〉。おいしいものを食べてほしいという一心で、できる限り値上げをせず、長年地元民の胃袋を支え続けています。オムライス、ラーメン、チャーハン、カツ丼と推しメニューは人それぞれ。「ずっと営業し続けてほしい」とみんなから愛されるその理由とは。親戚のお家に来たような気持ちになる〈洋光食堂〉への取材、スタートです!

writer
松浦奈々-nana-matsuura

盛岡市在住。八戸市の浜育ち。広告代理店の営業経験を経て、2024年春からフリーのライター兼フォトグラファーに転身。
家族が実家を引き払い、岩手へ移住してきたことで今や生まれ故郷に帰る場所がなくなったため、月1回先輩の実家に居候させてもらいながら、はちまちの取材に挑む。レトロなものとフィルムカメラと、イカドンと八戸の空気が大好き。
Instagram

こんにちは。八戸出身、盛岡在住の2拠点ライターの松浦です。

昔から地域に根付くレトロ食堂や町中華が好きな私。前々から行きたいところリストに入っていた〈洋光食堂〉を取材させてもらえることになり大興奮。はちまち編集部には“小中野マイスター”ことわかめ先輩がいるので、先輩に小中野をアテンドしていただきながら、念願の洋光食堂へ向かいます。(わかめ先輩が書いた小中野特集記事はこちら

何度も車で通ったことのあった小中野エリアですが、メイン通りを1本外れると、びっくりするほど道が狭い! 私はちょっと大きめのSUVを運転しているのですが、場所によっては壁面ギリギリの細道も。ドライバー泣かせの狭い道があったかと思えば、自分の小ささを実感せざるを得ない巨大な道が突如現れたりする。体の全神経をハンドルにかき集める勢いで、命からがら抜けたときに広がる道路の広大さ。なんだこの構造は!

Sカーブの道路。

メインストリートでもないのに、2車線分の左右に広がる道路が。

というのも、このつくりには理由があるんです。
実はここ小中野エリアは、藩政時代から花街として賑わい、昭和初期には「東北の上海」と呼ばれたほどのまち。遊郭に入っていくお客様を目立たせないため、道幅が狭かったり、道がくねくねしているんだとか。なるほど、納得!

そしてこの必要以上に広い違和感のある道路は、お客さんを乗せた人力車が通っていたり、芸者さんや料理人が行き来したり、ここで花魁道中も行われていたりしていたらしい。自分の住んでいたまちに、そんな時代があったなんて。テレビでしかみたことない世界観がここにあったという事実に、ちょっぴり感動。タイムスリップしてみたい。

高揚感を胸に、わかめ添乗員による小中野プチツアーを終えて洋光食堂さんへ。

古い看板マニアの私。丸文字と明朝体が混ざり合うこの看板にドキがムネムネ。

こぢんまりとしたお店の中には、小上がりとテーブル席が2つずつ。店内には三社大祭のポスター。厨房からは中華鍋を何度もあおる音。小型テレビから流れるニュースキャスターの落ち着いた声。お客さんとお母さんの間で始まるプチ近況報告会。超ローカルなこの雰囲気、好きすぎる。

ご夫婦二人だけで営まれているこの食堂には、地域の方だけではなく、宮城や東京など県外から駆けつける方も多いといいます。和やかな空気感とご夫婦の親しみやすさに、注文する前からなぜだか懐かしさを感じてしまいます。

メニューは各席に置いておらず、壁に貼られた短冊メニューから選ぶスタイル。お客さんたちが指をさしながら、あれやこれやと考えている姿にそそられて、私たちも選択肢を絞っていきます。

今回頼んだのはこちら。

オムライス  650円。

これぞ昔ながらの正統派オムライス。薄皮の卵に包まれたチキンライスには、玉ねぎとゴロゴロした豚バラが。味付けはケチャップと塩、コショウ、化学調味料のみ。自宅にある材料なのに、この味はなかなか再現できない。

カツ丼と半ラーメンセット 800円。 

甘しょっぱいつゆに絡んだカツと卵がたまらない。かつ丼は1.5人前くらいの量。

半ラーメンの麺は、通常のラーメンの3分の2ぐらいある。鶏ガラ、煮干し、だし昆布、野菜から煮出したあっさりスープは、八戸ならではの味でついつい飲み干したくなります。この味を求めて盛岡でいろんなラーメン屋を回りますが、なかなか見つけることができない......。そしてこの量のセットだと、盛岡では1,200円くらいします。


地域の見守り役のような食堂

昭和52年から営業されている洋光食堂は、今年で創業47年。提供価格はできる限り上げず、おいしいものを食べてほしいという一心で、長年地元民の胃袋を支え続けています。そのひたむきさに胸を打たれるのは、地域の方々だけでなく、県外にまで及び「ずっと営業していてほしい」という声が続出。「いつまでできるかはわからないけど、体が動く限りずっとやりたいと思ってるんだけどね」と妻の佐々木照子さんは眉毛を八の字にして笑います。

店主の博さんは「ここら辺の飲食店では、うちが一番古いかもしれない」といいます。なんでも洋光食堂は「洋光」の名を名乗ってから3代目とのこと。

昔、小中野が八戸の中心地だった昭和30年代頃に出店していたのが〈グリル洋光〉という洋食屋さんでした。次は中華料理店に暖簾がかわり、そこでもお店の名前は〈洋光〉だったとのこと。そして、2代目のお店から改装を経て、博さんと照子さんが営む洋光食堂が創業。お店の名前を継いだ理由は「変えるのが面倒だったから」とあっさり。オーナーが3代変わっても「洋光」の名を受け継いで、この地に根を張り続けるのも趣深いです。

かつて出前もしていた洋光食堂。わかめ先輩のご自宅では、洋光食堂のメニューが保管されているほど昔よく注文していたそうで、なんと照子さんはわかめ先輩のことだけでなく、ご家族・ご親戚のことも鮮明に覚えていらっしゃいました。「お母さんがここをあまり通らなくなった」「お姉ちゃんは元気?」とお客さんに思いを巡らせる博さんと照子さん。お二人がどれほどお客さんを大切に思い続けているのかが伺えるワンシーンでした。

 

お父さんの左腕が、おいしさの秘訣

博さんはもともと、東京で料理人をされていました。16歳に上京し、鍋を振り続けて約60年。かつては、12人前のチャーハンを大鍋で調理していたのだといいます。博さんのチャーハンに虜になる方々も多く、おいしさの秘訣を伺うと「よく炒めること」だと教えてくれました。厨房から鍋を振る音がよく聞こえるのが印象的だったのですが、おいしさの理由はそこにあったようです。

お話を伺うなかで、どうしても博さんが鍋を振っている手元を撮りたかった私。無理を承知の上で「手元を撮らせていただきたいです......」と懇願。「今までいろんな取材を受けたけど、厨房の中はね、お断りしていたの」と申し訳なさそうな照子さん。不躾なことをお願いしてごめんなさい!......と思いながらも「では......手を撮らせてください......!」とお願いすると照子さんは爆笑されていました。(しつこくて本当にごめんなさい)

すると「え〜手だけ撮るのもね、だったら鍋持ったところを撮ってくれよ〜、手だけじゃ寂しい!」と博さんが。カウンターから撮らせていただこうと身を乗り出す私をみて、お二人は、なんと私を厨房の中に入れてくださったのです。

緊張でちょっとぶれてしまいましたが、ご愛嬌ということで......。撮らせていただけたこと、本当に嬉しかったです。鍋を振り続けて約60年。現役でお店に立ち続けるお二人の姿をみて、私も「ずっと続いてほしい」という思いが込み上がりました。

撮影した写真を確認していただくと「あ〜あ〜あ〜、腹が腹が、横から俺のお腹出てるじゃね〜かよ〜。でもね、こういう食堂の人はね、ちょっと太っていた方が説得力あるからなぁ」という博さんのチャーミングな一面に、一同笑う場面も。

帰り際、お礼をお伝えしてお店を後にしようとすると、博さんが何やらカウンターの上の荷物をごそごそ。

お二人への贈り物だったに違いありませんが、私たちにお土産として持たせてくれました。
胃袋だけでなく、心までも掴まれました......。

博さんと照子さんの溢れるほどの気立ての良さと、おもてなし精神。そして親戚のお家に来たような気持ちになる〈洋光食堂〉。地元の方だけでなく、全国各地からここへ人が集まるのは、お二人にまた会いたくなるのも理由のひとつなのではないでしょうか。

公開日

まちのお店を知る

最近見たページ