髙森美由紀×高瀬乃一 1万字対談。県内在住作家の創作の源泉とは。【八戸ブックセンター×はちまち特別企画】。

〈八戸ブックセンター〉が、「本のまち八戸」の取り組みなどを紹介するフリーペーパー『ほんのわ』。2021年版では、三戸町出身の小説家・髙森美由紀さんと、『第100回オール讀物新人賞』で小説家デビューを果たした三沢市在住の高瀬乃一さんの対談を掲載しています。文字数の関係で泣く泣く削りましたが、『はちまち』ではお二人の対談をフルバージョン、だいたい1万字でお届けします! 対談の舞台は、〈八戸ブックセンター〉の読書会ルームでした。

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栗本千尋-chihiro-kurimoto
『はちまち』編集長。1986年生まれ。青森県八戸市出身(だけど実家は仙台に引っ越しました)。3人兄弟の真ん中、2人の男児の母。旅行会社、編集プロダクション、映像制作会社のOLを経て2011年に独立し、フリーライター/エディターに。2020年8月に地元・八戸へUターン。

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 「未来の直木賞受賞作家に会える! と思って、今日は来ました」(髙森)

ーーまずはそれぞれ、会う前の印象からお伺いしたいです。

髙森美由紀(たかもり みゆき)
1980年、青森県三戸町出身・在住。2014年、『いっしょにアんベ!』(フレーベル館)でデビュー。第44回児童文芸新人賞を受賞。近著に『柊先生の小さなキッチン』(集英社オレンジ文庫)。図書館に勤務しながら執筆活動を行っている。

髙森美由紀さん(以下、髙森):高瀬さんが受賞された『オール讀物新人賞』に私も応募したことがあったと思うんですけど、箸にも棒にもかからなくて落ちたんです。当時、私の読んでいた本が、軒並みこの賞を受賞された先生の作品ばかりだったんですよ。人の内面まで表現されている作品が多かったので憧れていました。

それを昨年になって、青森県内在住の方が受賞されたというので、単純に「すごい!」と思って。オール讀物新人賞が輩出した作家さんが、その後に直木賞を受賞されることもあるので、「もしかして未来の直木賞受賞作家と会えるんじゃないか」と。みんなに自慢してやろうと思って今日は来ました。

高瀬乃一(たかせ のいち)
1973年愛知県出身、青森県三沢市在住。2020年、時代小説『をりをり よみ耽り』で『第100回オール讀物新人賞』を受賞。『オール讀物6月号』(文藝春秋)、『小説新潮6月号』(新潮社)で新作を発表。塾講師、農家の顔も持つ。

高瀬乃一さん(以下、高瀬):まだ何にもなってない……(笑)。私は新聞で髙森さんを知ったのですが、図書館で働きながら作品をたくさん出していらっしゃるというのは憧れでした。2年前に髙森さんが『山の上のランチタイム』(中央公論新社)を刊行されたとき、ブックセンターでトークイベントがありましたよね? そのとき私もちょうどきていたんです。満員で中に入れなかったんですが、覗き込んだら生の髙森さんが見えて、「いつかちゃんと会うんだ」っていう気持ちでいました。だから今日は嬉しいです。

『山の上のランチタイム』(中央公論新社)

髙森:私もインターネットで高瀬さんのお顔は拝見していて、「うわー、本物だー」って思いました。「これが未来の直木賞作家だ」って(笑)。

高瀬:私も生で見る作家さん、初めてです。

ーーお互い、芸能人に会うみたいな感覚なんですね(笑)。

高瀬:さっきそこで、わあ! って。

ーーそんなときに立ち会えて、私も嬉しいです。

 

「自衛官が登場する小説を書きたくて、自衛隊に入隊したんです」(高瀬)

ーーお二人が執筆をはじめられたきっかけは何でしたか?

高瀬:私は高校生のときに読んでいた小説が好きで、自分も書きたいと思ったのが最初。いつか「あとがき」を書けるような人間になりたいな、みたいな。でも、若いころって何を書いたらいいのかわからなかったので、とりあえずいろいろ経験だけはしておこうと思いました。自衛官になったのもその一つだし、結婚したのも出産したのも全部、「この経験も無駄になることはないだろう、いつか小説になるかもしれない」って気持ちでした。でも、投稿などはせずにダラダラと過ごしていたんです。

そんななか、体調を崩したり東日本大震災があったりして、「何か残したい」じゃないですけど、人生後悔したくないと思って。もう40歳を過ぎていたし。それで本格的に投稿をはじめたのが7〜8年前でした。

ーー高瀬さんは「自衛官が登場する話が思い浮かんだから自衛官になった」とか。

高瀬:そうですね。でも自衛官ってなんだかよくわからなかったし、自衛隊員の募集事務所があることすら知らなくて、私とりあえず防衛庁に電話しちゃったんですよ。

全員:(笑)。

高瀬:「防衛庁に電話してきた変な女がいる」ってことで、ぐるっと回り回って募集事務所から実家に電話がありました。「採用試験を受けますか?」と言われたので、「じゃあ受けます」と。一年くらい勉強して、22歳で自衛官になっちゃった。配属先が三沢だったことが、青森に来たきっかけでした。それまで愛知県に住んでいたので。

髙森:どれくらい自衛隊員を続けたんですか?

高瀬:3年一期と決まっているので、3年働いてみて。それで人に使われるのがあまり好きじゃないなと気づいたので、結婚を期にやめました。……なんかこうやって語るとおかしいですよね。

ーーそうですね(笑)。ちなみに自衛官が登場するお話は書かれたんですか?

高瀬:書いていないです。現実に重きを置くようになって、とん挫しちゃって。今は時代小説を書いているので、なんとも言えないんですけど、訓練の厳しさとか上下関係、男社会などの経験を、いつか活かせればなと。

髙森:もう一回、小説を書こうと思ったきっかけはあるんですか?

高瀬:3人目の子どもを産んだときに体調を崩しちゃったんですよ。外で働くこともできなくて、家でできることっていえばやっぱり書くことかなと思って。

髙森:体調を崩したときに書こうっていう気力がすごいですよね。突き動かされたときの気持ちって覚えてらっしゃいますか?

高瀬:そのころ私、就職活動に落ちまくっていたんです。2時間のパートですら受からなくて、理由を聞いたら「子どもがいるからダメ」だと。それが耐えられなくて、見返してやろうって気持ちがありました。そのとき書いた小説は闇ですよ(笑)。誰が読んでも面白くない、しんどい小説を4〜5年書き続けていました。

髙森:見返してやろうって、なんかかっこいいですね。

高瀬:でも今思えば、見返してやろうって思っている間は、いい小説が書けないんですよ。そういう嫉妬がなくなってから、小説が変わってきたというか。

ーー嫉妬がなくなったきっかけはあったのでしょうか。

高瀬:心と身体の調子がよくなってきたのもあるんですけど、子どもがいるのであまり落ち込んだ姿を見せたくなくて。

一時期は本を見るのが苦しくて本屋にも行けなかったんです。自分がなりたいのになれない、小説家さんの本がいっぱいあるから。でも、そういうのをちゃんと見るようにして、それこそ髙森さんが近くにいて目標にできたこともあって、自分の中で気持ちを切り替えました。髙森さんの影響はすごく大きいですね。

 

「他人のお金で取材旅行したくて文学賞に応募しはじめました」(髙森)

ーー髙森さんは現在、図書館に勤務されながら作家としてもご活躍されていますよね。執筆をはじめられたのは、何がきっかけだったんですか?

髙森:さくらももこさんのエッセイが好きで読んでいて……バブル時代に書かれたものだと思うんですけど、出版社のお金で取材旅行してるんだ! というのが衝撃的で(笑)。その体験をエッセイにして、印税もらってるんですよ? 私も他人のお金で旅行したいという思考回路で書きはじめたんですよね。

ーー(笑)。取材旅行には行けましたか?

髙森:行けていないです。どこからもお声がかからなくて(笑)。

ーー書きはじめてからは、トントン拍子にデビューされたんでしょうか。

髙森:いえ。とにかく賞に応募しないことには何もはじまらないから、何でもやったんですよ。エッセイでも、詩でも、短編でも。私、大学を出ていないから論文とか長い文章を書いたことがなくて、そもそも書き方をまったく知らないので、短い文章から徐々に慣れていきました。あるとき、純文学の短編で大賞を獲って、「こんな感じなんだな」って、感触をつかみました。でも、そこから何回も落ちましたね。

なんでもやっていくなかで、あるとき児童書には手を出していなかったことに気づいて、書いてみたんです。図書館の児童書を読みまくって傾向をつかんで書いた作品が、佳作になったんですよね。

ーー研究の成果ですね。

髙森:そうですね。そのとき授賞式に呼ばれて、出版社から旅費が出たのでプチ旅行できたんです。

それまで私、東京には修学旅行でしか行ったことがなくて、しかも杖を持ったじじいに追いかけられたから、あまりいい思い出がなくて。(笑)。「都会っておっかないところだ」って思っていたんですけど。

全員:(笑)。

髙森:それで、味を占めたんです。この調子で応募して賞に引っかかったら、受賞式に呼ばれて出版社のお金で行けるんだ! って。そこから、授賞式が目的で応募しはじめたんですよね。

ーー髙森さんは2012年に『第15回ちゅうでん児童文学賞』で大賞を受賞した作品を、フレーベル館から『いっしょにアんベ!』と改題してデビューされています。

『いっしょにアんべ!』(フレーベル館)

髙森:はい。そして、同じ年の秋に一般書のデビューだったんです。それまでは何回応募しても落ちまくっていたのに、不思議なことに、急にポコッといくんですよね。

高瀬:一気に賞を獲られていますよね。

髙森:賞に引っかかれば旅行させてもらえるし、くらいの気軽さで書いていたら、ある日、突然ポコッと出たというか……。あの感覚、なんと表現したらいいのか、不思議なんですけど。続けていれば、急に大賞を獲るようなこともあるんだと思います。

高瀬:それはあるかもしれない。私もずっとダメで、いきなり最終選考に残りましたもん。それがタンタンタンタンと続いて。

髙森:ドミノ倒しの逆みたいな。なんていうんだろう。

高瀬:それまで本当に何にも引っかからなかったから。不思議ですね。

髙森:ただ、自分が書いたものは基本的に読み返さないので、主人公の名前や設定を忘れていっちゃうんですよね。でもシリーズになったときに、主人公の名前が違ってたらマズイじゃないですか。

ーーそれはそうですね(笑)。

髙森:だから、続きを書くときは、主人公が何をしてきたかを読み返して書き出しています。

 

「場面の絵が先に浮かんで、それを文字に起こしています」(髙森)

ーー次に小説の書き進め方を聞いていきたいのですが、お二人はあらかじめラストを決めているのでしょうか?

高瀬:私はとりあえずゴールだけ決めています。今書いている時代小説は、心理描写を書くタイプの小説ではないので、起承転結がしっかりしていないと面白みがないかなと。私、推理小説でも何でも、犯人を先に見ちゃうタイプなんですよ。

ーーそうなんですね!

高瀬:だから書くときも、その癖が出ちゃって。最後を決めてザーッと書いて、とりあえず自分の中で完結させてから、細かく直していく感じです。

髙森:私は起承転結とか立てられないので、場面がポッポッポッて浮かんだのをふせんに書いて、ペッペッペッと貼っていって。すごいアナログなんですけど、組みなおすというか、並べなおして。最初も最後もまったく決めないで、ほぼ見切り発車です。

高瀬:それ面白いですね。

こちらは髙森さんのネタ集め用ファイル。気になった記事などを切り抜いてとっておき、設定の参考などに使うという。

髙森:いくつかの独立したエピソードが浮かんだら、それをつなげてつなげて。私、プロットを立てることができないんですよ。例えば編集者に「1ヵ月あげるからプロットを立てて」って言われると、その間に小説をひとつ書くんです。そこからあらすじを拾って「プロットです」って出す。

OKだった場合は「これを来月までに一本の作品にしてください」と言われるんですけど、私の場合は次の日に完成原稿を出すんですよ。プロットを立てられないから、しょうがなくそういうやり方をしている。

ーー編集者もびっくりでしょうね(笑)。

高瀬:私もプロットってよくわからないから、とりあえずあらすじを書いて出したら、「これどういうことですか?」ってキョトンとされたことがあります。細かく説明すると、「あ、そういうことだったんですね」って、編集者がメモしていく……みたいな。私もまだよくわからないです。

ーー原稿の執筆は手書きですか? それともパソコンですか?

高瀬さんのネタ帳。トラベラーズノートにメモ書きしてある。

高瀬:大まかな流れだけルーズリーフにバーッと書いて、いろいろなネタを書いてからパソコンで打ちます。そのほうが客観的に見られると感じていて。でも、自分で書いた字がわからないことも多いですけど(笑)。

髙森:私はふせんに書いてからなので、手書きもパソコンもどっちもです。私、話の流れよりギャグシーンが好きなんですよ。そこは勢いでいけるから直接パソコンに打ち込めるんですけど、人の心理に入っていくほうは手書きじゃないとリズムが合わないので。気分で仕事をしているから、勢いでいけそうなときはシーンだけを打っちゃいますね。

ーーいい文章が浮かんできて、それをどんどん打ち込むイメージでしょうか。

髙森:言葉が先じゃなくて、その場面の絵が浮かんで、それを文字に起こしています。ふせんを並べるのも、絵が浮かんで、それを入れ替えてお話にするんです。言葉が最初に出てくる人ってすごいなって思っています。

高瀬:真逆かも。それすごいですね。私は言葉が先です。

 

「図書館の『髙森美由紀コーナー』の横に、自分のコーナーを作ってもらうのが目標」(高瀬)

ーー作家さんによってアプローチの仕方が違うのがとても興味深いです。お二人とも、別のお仕事をされながら書いてらっしゃいますが、どういう生活リズムで執筆されているのかを知りたいです。

髙森:私は家に帰ると何もしたくないので、ずっとYouTubeを見てるんですよ。そのうちに「やばいな、今日は何も書いていない」ってだんだん焦ってきて、夜の10時ころから書きはじめるんですよね。書けないときはまったく書かないし、書けるときは朝方4時ころまで書いて2時間だけ寝て、出勤するような感じ。

高瀬:私も、休みの日はダラーっとドラマを見ていて、ふと我に返り「やばいやばい」みたいな。でも私は基本的に怠け者なので、1日1行でもいいから書こうと思っています。まったく書けない日は、私が好きな藤沢周平さんの小説をひたすら書き写しています。それでやった気になってる。自分の作品は全然書いていないのに。

髙森:リズムをつかむために、好きな作家の作品を書き写しなさいっていうのは聞いたことあります。

高瀬:何も書けない日は書き写す。思いついた日は1行でもいいから書く。でももう疲れて死にそうです(笑)。上京した子どもの仕送りを考えると、頭が痛くなっちゃって。現実と小説がごちゃごちゃになっちゃう。でもこの経験も、そのうち役に立つだろうなって思ってやっています。髙森さんのようにたくさん本を出されていても、まだ悩むことってありますか?

髙森:ありますよ。ボツになるとへこみますしね。だから原稿を送ったあとに編集さんからメールがきたとき、すぐに開けないですもん。しばらくほっといて、心の準備をして。体調のいいときじゃないと。

高瀬:寝る前とか絶対無理ですよね。仕事が休みの日の朝、家族がみんないるときとか、「うわー」って叫んでも受け止めてくれる人がいるときにメールを開く。そうするといっぱい直しが書いてあるんですけど。オール(讀物)は特にすごいみたいです。新人はコテンパンにやられるというか、しごかれるって。半年で載せてもらえるならまだありがたいそうです。なかなか載せてもらえないって、皆さんインタビューでおっしゃっていたので。

でも、本当に厳しかったです。毎回毎回、書き直しの鉛筆書きがガーッと来るんですよ。メールもバンバン来る。まあ見てもらえるだけありがたいんだなって。

高瀬さんの作品が掲載されている『小説新潮』(新潮社)と、『オール讀物』(文藝春秋)。

髙森:打ち合わせはメール?

高瀬:電話とメールですね。今こういう時期なのでまったくお会いすることもなく。

髙森:担当さんから「こういう話をこういう方向性で書いて」って言われることはないんですか?

高瀬:私の場合は運よく賞をもらった主人公でシリーズ化が決まったので、「こういう事件が起こって、解決して」っていう大まかなストーリーだけあって、「あとはお任せします」と言われています。

髙森:江戸時代にはもともと詳しかったんですか?

高瀬:まったく(笑)。オール(讀物)って、時代小説が多いんですよね。だからそっちのほうが、賞に応募するとき間口が開けているのかなと思って。時代小説を書きはじめたのも、ここ2年くらいです。ブックセンターさんの本を買いまくって勉強しました。

髙森:江戸時代のことを書くのって、難しくないんですか?

高瀬さんのネタ帳には年代ごとに起こった大きな出来事や、設定現場マップなどが細かく書き込まれていた。

高瀬:難しいです。時代考証が入ると、「この時代にこの本はないです」とか「こういう街の風景で瓦屋根はなかったですよ」とか。私、現代ものがなかなか書けないんです。髙森さんの小説は現代で、主人公が不器用な女の子が多いじゃないですか。そういうのが書きたいと思っているけれど、今の私には無理かなって。

髙森:そうですか。でも、私が勤めている図書館では、時代小説の貸し出し件数がすごく伸びているんですよね。コロナより前、リーマンショックあたりでしょうか……、時代が暗くなってきたころから、明るくて読める人情ものの貸し出しが伸びてきていて。高瀬さんの作品も本になるのが楽しみですね。

高瀬:そんなに長くないですもんね、時代小説って。“推理もの”といっても、小難しくなくて、それよりも人情があってホロッとくるようなものを求められる。時代小説には時代小説のセオリーみたいなものがあるんだなって。

本になるのは1〜2年かかると言われてるんですけど、三沢市立図書館に行くと『髙森美由紀コーナー』があって。私も高瀬で「高」つながりなので、横に自分のコーナーを作ってもらうのが目標です。

 

「自分に課すハードルを低く。何でもいいから書いてみて、つながっていけばお話になる」(髙森)

ーーこれから執筆活動をはじめたい人にアドバイスはありますか?

髙森:私は“書く”ことに対して、あまりハードルが高いとは思っていなかったんです。さくらももこさんのエッセイが入り口だったと話しましたけど、ああいうエッセイを書くのって本当はすごく難しいんですよね。でも、当時の私にはわからなかったんですよ。今になって思うと、そこが幸いだったというか……「計算し尽くされた一冊なんだ」って気づいていたら、きっと自分では書いていないと思います。絶対無理だもん。

きっと、書きたい気持ちがあっても書いていない人は、初めから自分の中でハードルを高くしているんじゃないかな。まずは何でもいいから思ったことを書いてみる。それがつながっていけばお話になるんだから。自分に課すハードルを低くしてみるといいと思います。最初から50mを8秒で走れって言われても無理だけど、10mを5秒で走ることはできるじゃないですか。

高瀬:私は最初の一文を書くだけでも悩むんですが、途中からリズムみたいなものがつかめてくる気がしています。もちろん、神様に選ばれたみたいな、本当にすごい作家さんもいると思うんです。でも、ああいう人たちはもう別格なので、目標にしないほうがいいって私も途中で気づきました。「この人たちは別格だ。神様に選ばれた人たちだから、ちょっと置いといて地道にやってきた人たちを目標にしよう」みたいな。

髙森:すごい人を目標にすると動けなくなっちゃいますからね。この人は目標にするんじゃなくて、読者として作品を読ませてもらおうって。

 

「土の匂いとか感触とか、そういう実体験が役立つ」(高瀬)

ーー私たちは『はちまち』という八戸中心商店街の情報を発信するサイトなのですが、街で行かれるとしたらどんなところですか?

髙森:ブックセンター。

高瀬:うん。私はあまり外に出ないのですが、八戸に何か用事があるとブックセンターには必ず寄ります。

ーーどういう使い方をされるんですか?

高瀬:子どもたちがよく八戸のカラオケ店に行くので、私は時間を潰すためにこの辺をぶらぶら回って、ブックセンターに寄る。私にとって、ブックセンターの存在はすごく大きかったんです。ここで青森の歴史の本を買ったのが、時代小説を書くきっかけになりましたから。何が埋もれてるかわからないですよね、ユニークな本もあるし。

髙森:私もブックセンターにきたら本を見ますね。あとは、近くの三八城公園は小説に使えないかなって思っているので、行くこともあります。

ーー青森県在住で執筆活動に影響しているものとか、創作の参考になるものがあれば教えていただきたいです。

髙森:生活……ですかね。編集者に一回「人を書け」って言われたんですよ。「人って何だろう」と考えたときに、その人がどこで暮らしているかって、絶対影響しているじゃないですか。訛りひとつとっても、標準語の人が訛りを使うのと、そこで生きてきた人が使うのでは全然違う。地元を舞台にすると取材もしやすいですし、その利点はあるかもしれないですね。

髙森さんが取材に使っているデジカメとケータイ。

だから、「人を書け」というのは、「そこで生きてきた人の人生を切り取って書け」って意味なんだろうなと思ったんです。私はここで生まれ育っているから、例えば「東京の話を書け」と言われても浅くなる。

高瀬:私はほかの土地からきた人間だけど、23〜4年暮らしているから、訛りを聞くとほっとしますね。

髙森:高瀬さんは愛知で生きて、それから青森に入ってきたから、得だなって思うんですよ。ハイブリッドな感じ(笑)。

高瀬:いいほうに考えると、そうですね。出会った方に「青森出身ですよね」って言われると、生粋の青森県民の方に申し訳ないなって思うし、「愛知出身」って言われても、今の愛知県のことを全然知らないから、中途半端というか。でも、出版社の方から「青森在住ですか。面白いですね」って言われることがあって。

何が面白いのかはわからないけど、東京に住んでる人たちからすると、何か面白いことをやってくれそうだと期待してくれているみたいです。それが何に生かせるかはまだ私にはわからないですけど。どっかに活かしていけたらなと。

髙森:確かに、私も強みだとは言われました。

高瀬:土にまみれた匂いとか、東京の人ってきっと知らないじゃないですか。私なんか毎日草むしってるんで。土の匂いとか感触とか、そういう実体験が役立つと思っています。

ーー高瀬さんの作品を読ませていただいたんですが、描かれている情景がリアルに思い浮かぶようでした。

高瀬:今書いている小説に野菜売りの男の子が出てくるんですけど、農家で働いているので、その知識を書いています。塾の講師もしているので、小さい子どもを塾で採点して、「将来こんなに役立つのに、なんで嫌な顔して勉強しているんだろう」って思いを小説に書くことも。

愛知に住んだままでは書けなかったんじゃないかなと思いますね。もちろん、きたばかりのときは違いにびっくりしたんですけど。愛知って喫茶店文化が根強いので、喫茶店がなくて気分が落ち込んじゃって。でも、今思えばその感情だって小説に書けるし、マイナスをプラスに変えられるのが小説のいいところかなと。

髙森:外からじゃないとわからないこともありますからね。

高瀬:その土地の人間にはなれないけど、だからこそ見られるものはあるのかなと。

ーー今後、この土地を離れることはありそうですか。

髙森:ここにいて、書きたいです。寒いの嫌だけど。でも、よそに行って、こっちのことが書けなくなったら嫌だなとかいうのがあって。

高瀬:寒さに慣れているわけじゃないんですね(笑)。私は子どもが3人いて、多分みんな家を出ていくんですよ。家の方針としては高校を出たら家を出てくれっていう方針なので、夫と二人になるじゃないですか。私たちは放浪したいタイプなので、もしかしたら20年後は三沢にはいないかもしれないですね。でも、この環境で生きたことも、いつか小説に活かしたいと思っています。

 

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