三社大祭はなぜ3つの神社の祭りになった?

江戸時代の発祥から300周年を迎えた八戸三社大祭。現在は、おがみ神社、長者山新羅神社、神明宮の神社の合同のお祭りで、100万人以上の人で賑わう青森県の夏の風物詩の一つになりました。この「3つの神社のお祭り」になったのは明治時代のこと。そして毎年つくり替えられる山車が登場するのも明治になってからです。なぜ3つの神社のお祭りになり、山車が登場したのか? その謎を解く鍵は、市内の至る所に散りばめられていました。

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mamo
八戸市出身。えんぶりと三社大祭が好き。写真ブログ『すぐそばふるさと』をゆるく更新中。2018年、えんぶり写真集『えんぶりといきる』を自費出版し、東池袋カクルルで個展を開催。音楽フェスや文化関連の委員などもやってます。2020年、コロナ禍でひとり近場の歴史巡りを始める。音楽はもっぱらジャズとディズニーのサントラ。特技はマリオカート。実はドラムやります。コロナ禍が収束したらミッキーマウスに会いたい。

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三社大祭成立の歴史の答えは長者山の石碑に?

まず向かったのは、長者山新羅神社。
ここに建つ石碑「頌徳碑(しょうとくひ)」を読んでみましょう……。
と言っても、この頌徳碑、今から90年以上も前の昭和3年に建てられたもの。漢字でいっぱいです。

今の言葉に直すとこんなことが書いてあります。

「八戸の大祭はおがみ神社のみで行ってきたが、明治19年、3人が奔走し、新羅神社、おがみ神社、神明宮の連合三社大祭となった。大澤氏は、明治27年、戦勝記念として多額の寄付や奉納物を募り、3つの神社に分かち合い、明治30年に神輿を整え、三社大祭渡御式を行うに至った」

この碑文の中に出てくる大澤氏とは、八戸藩の藩士だった大澤多門のこと。

江戸時代は八戸藩の大切なお祭りでしたが、明治の廃藩置県で藩が消滅し祭りを続けることが難しくなっていきました。そんな中で、街の中心部にあった3つの神社の合同のお祭りとすることで、氏子たちの力で祭りを続けようとしたということなんでしょうね。

碑文には「聯合三社大祭」の文字が確認できる。

南部と津軽が真っ向からぶつかった「野辺地戦争」を経験した大澤は、戦争の反省もあって、「藩」という後ろ盾を失った八戸の人々のためになることはなんなのかを考えたのかもしれません。

青森県史跡 野辺地戦争戦死者墓所 亡くなった津軽軍兵士27名の名前が記されている。野辺地戦争当時、大澤は八戸隊の副隊長だった。

 

山車の登場の裏には一体何が?

しかし、初めて3つの神社のお祭りが行われた明治19年は、八戸は散々な状況でした。湊町にある十王院にその答えがあります。

墓地に建っているのは「コレラ供養塔」。

初めて3つの神社のお祭りが行われたこの年、7月に八戸の男性がコレラに感染。青森県全体でコレラが流行し、八戸だけで2373人が感染、1318人が犠牲になりました。

さらにこの年、4月には小中野で312戸を焼く大火もあったそうです。

祭りの開催とコレラの発生は直接的な関係はありませんが、初めて行われた3つの神社のお祭りは、本当に大変な状況の中での開催だったのでしょうね。

十王院近くの館鼻公園駐車場にあるこの岩。コレラが蔓延した時に簡易的な棺桶に遺体を入れ、この岩の上で荼毘に付した……と言われています。

そして「コレラ禍」が収束すると、八戸の人々はとあるものをつくります。

それこそが「山車」。今でも町内の人々が毎年作り替えている山車は、コレラからの解放を祝って作られるようになったと考えられています。

現在の山車の製作風景。

この年、湊町でも「コレラ祭り」が開催され、疫病を逃れたことを祝って山車が作られたのだとか。三社大祭では、今でも活動を続けている朔日町の山車組が「大大根」という山車を作ったそうです。
大大根……大きな大根の山車? みてみたいですね。

 

南部の人々は祭りを守ることを選んだ。

祭りの歴史を振り返ると、明治の世の中になって南部のお殿様がこの地を去ったあとは、住民の手によって祭りが規模を拡大し、感染症からの開放を祝って山車が生み出されたことがわかります。

江戸時代は津軽の弘前八幡宮や毘沙門堂(現青森市 県庁近く)でも山車祭礼があったそうですが、残っているのは鯵ヶ沢町で4年に一度行われる白八幡宮大祭だけ。弘前市や青森市では山車祭礼の文化は途絶ましたが、その代わり、神社とは直接関係のない「ねぶた」「ねぷた」の文化を守り伝えていく道を選んだようです。

今、新しい感染症が地域の文化や伝統の継承にも大きな影を落としています。この記事を書いてみて、江戸時代や明治時代の八戸の人々の声が市内の至る所に今でも残っているような気がして、なんとも言えない気持ちにさせられました。

また近い将来、色とりどりの山車や、子供たちの元気な声、そして八戸の人たちをいつも見守ってくれている3つの神社のお神輿が見られますように。

この記事の執筆にあたっては、工藤竹久著「概説 八戸三社大祭」を参考にしました。

 

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