“評価”よりも、“好き”を選んで。 喫茶とアートが交わる場所〈小さな美術館ミモザ〉。【美保野】

初めて〈小さな美術館ミモザ〉を訪れたのは、2017年のこと。きっかけは、携帯電話もパソコンも触ったことのない私の祖母が「ここに行きたい」とミモザが紹介された記事の切り抜きを持っていたことだった。森のなかに静かに佇む、喫茶とアートギャラリーが重なり合う場所。その空間にいると、同じ八戸のはずなのにどこか遠くへ来たような気持ちになった。展示室で目にした、館鼻漁港と船が描かれた巨大な油彩画。喫茶店の壁一面にずらりと並ぶ、種類豊富なコーヒーカップたち。家族と過ごしたあのひとときは、今も色褪せることなく、特別な記憶として残っている。その思い出を8年越しにもう一度確かめてみたい——。「はちまち」の取材で、再び〈小さな美術館ミモザ〉を訪ねてみることにした。

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松浦奈々-nana-matsuura

盛岡市在住。八戸市の浜育ち。広告代理店の営業経験を経て、2024年春からフリーのライター兼フォトグラファーに転身。
家族が実家を引き払い岩手へ移住したことで、生まれ故郷に帰る場所がなくなった2022年。旅をするような感覚で、はちまち取材を通じて八戸のことを再度勉強中。好きなものはレトロなものとフィルムカメラと、イカドンと八戸の空気。
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今年で17年目を迎える〈小さな美術館ミモザ〉を営むのは、オーナーの板垣洋子さんだ。
この場所は洋子さんが60歳のとき、2008年にオープンした。アートギャラリーと喫茶店が融合した空間は、郊外にある美保野の森のなかにひっそりと佇み、ここが八戸であることを忘れてしまう。

当時と変わらない雰囲気に、思わずほっとしながら「家族でここに来たなぁ」と、少しセンチメンタルな気持ちで店内を見渡す。今回はコーヒーカップが並ぶカウンター席で、相席させていただくことにした。

コーヒーカップ好きの洋子さんが集めたその数は、300点を超えるという。常連さんに「好きなカップを選べるよ」と教えてもらい、お気に入りを一緒に探すことにした。

「あれ、いいカップだよ。ここでは、なかなか手に入れられない貴重なものでお茶ができるんだから」

「ソーサーの裏を見ると、どこのカップなのかわかるのよ」と教えてもらう。そういえば、実家には家族の人数に見合わないほどの食器があった。再訪するまでは、祖母がなぜここに来たかったのかわからなかったけれど、食器が好きだったからだろうと、今になってわかった。

私が注文したのは、チーズトーストセット(800円)と、レアチーズケーキ(350円)。食パンは、洋子さんのこだわりで新井田の〈カフェレストラン茶居花〉から仕入れている。サイコロ状のパプリカとハムが載った、こんがり焼き目のついた厚切りチーズトーストは、外はサクッと、中はふかふかでボリューム満点の一品。盛岡の老舗喫茶店である〈クラムボン〉から仕入れた深煎りのコロンビアは、雑味がなくすっきりとしている。

悩みに悩んで、取っ手の細部まで凝っている、なんとも愛らしいこのカップにした。「これにしたのね、うんうん、あなたに似合うわね〜」と会話が弾む。

濃厚で酸味のないチーズケーキは、苦味のあるコーヒーと合わせることで甘みが引き立ち、どちらもおかわりしたくなる味わいだった。

可愛らしいクッキーは、娘の亜菜美さんによる手作り。季節や行事に合わせてテーマが変わり、毎週新しいデザインに出合えるのも楽しみのひとつだ。

「好きなこと」は、誰かの評価で揺るがない

店名に「小さな美術館」とあるように、ここには創作作品を展示できるアートギャラリーもある。ひと月分の使用料を支払うと、お店が営業している水曜から日曜までの間、展示室を利用できる仕組みだ。ワイヤーアートや絵画、写真など、多彩な表現者たちが集い、定期的に展示会が催されているという。オーナーの洋子さんもその一人で、自作の水彩画や油絵を展示することもあるそうだ。

「40歳の頃に子育てが落ち着いて自分の時間にゆとりができたから、絵を習おうと思って絵画教室を探したの。せっかく絵を習うなら、先生の価値観や考え方に共感できる空間で描きたいと思って、何件か見学して。それで画家の大久保景造先生と出会って、NHKで開催していた水彩画教室に通うことにした。それまでは水彩画ってやったことがなかったけど、小さいときに少女漫画を手本にして、しょっちゅう描いてたから、バランスとか空間の捉え方とかが、自然と身についていたみたい。それをきっかけに大久保先生から油絵も習うようになった」

お手本の上に紙を乗せてなぞる写し絵ではなく、隣に手本を置いて模写をしていたからこそ、観察力が鍛えられたと話す洋子さん。

とあるとき、洋子さんは友人からこう勧められたという。「蒼騎会(※全国規模の美術団体)に入って、絵を出展してみたら?」

年に1回、蒼騎会で開催される『蒼騎展』。国内外から集まった作品を、国立美術館に展示し、審査員や関係者などが評価する——。洋子さんは蒼騎会に入会し、長い間油彩で船を描き続けた。

「12年間出展したけど、大きな賞はとれなかった。腕がいい人がたくさんいるからさ。だけど“絵を描くこと”が好きだったから、それで落ち込んだりすることはなかった。全ての評価を受け取ることはしないで、自分の価値観に合うものだけに耳を澄ませていたからね

その後、洋子さんは蒼騎会東北支部の代表に就任し、広報活動に奔走。しかし、コロナ禍で東京へ通うことが難しくなり、同時期にミモザの仕事も多忙を極めるように。絵とじっくり向き合う時間が取れなくなったことをきっかけに、いったん蒼騎会を離れる決断をした。それでも「絵を描くこと」への熱は、洋子さんの心のなかで決して冷めることはなかった。

「年に1回、ミモザで個展をしているんです。この間もそこに船の絵を展示してね。今度は生物の絵を描きたいと思っているんだけど、今は絵を描く気分になれないから、自分のペースに身を任せて、そのタイミングがくるのを気長に待ってるの。だからその間は応援するほうに回ろうと思って、いろんな作家さんの個展にお邪魔しては、作品を買い付けてる。来年にでも、コレクション展をミモザでできたらいいなって思ってる」

他の方の作品を見ていると “羨ましい”と思うこともあると話してくれた洋子さん。「焦ることはないんですか?」と聞くと「焦ってもいい作品は描けないからね」と答えてくれた。

お話を聞いているうちに、洋子さんが描いた絵を見たくなり「絵が見たいです」とお願いすると、たまたまアトリエにF120号サイズの大きい絵があるというので、見せていただくことになった。

なんとそこにあったのは、8年前に心動かされたあの1枚だった。話したことがない好きだった先輩に、数年ぶりに再会してどきどきしているような、そんな感覚。記憶に残るあの絵の作者は、洋子さんだった。

淡いタッチで繊細に描かれた館鼻漁港と船の作品からは、どこか寂しさも感じられる。港町ならではの凍てつく寒さが伝わってくるような、八戸らしさが詰まった洋子さんの油彩画。どこの誰が描いた作品かわからずに、目の前にある絵にただただ心を震わせていた8年前。再びあの高揚感を味わえたことが、嬉しくてたまらなかった。

自分らしくいるために 

子育てが落ち着いた40歳から、幼少時代から好きだった絵を再び描き始め、60歳で〈小さな美術館ミモザ〉をオープンした洋子さん。ゆくゆくはアトリエでお絵描き教室を開催したいと教えてくれた。

「絵の先生は呼ばないで、私も教える側にはならないで、お題を決めず思うままに、好きなものを描いてもらえたらなって思うの。クレヨンでもクーピーでも、なんでもいい。外に出て写生をするのでもいいよね。楽しく描けること、自分らしく描けることそれが一番」

誰かに太鼓判を押されること。多くの人に認知されること。それが実現すれば、作品は遠くまで駆けていけるのかもしれない。

でも、もしゴールが「良い評価をもらうこと」になってしまったら——。もともと自分のなかにあった「表現したい」という純粋な思いから遠のいてしまうこともあれば、自由な表現を自分自身で不自由にしてしまうことだってある。

〈小さな美術館ミモザ〉が居心地よく感じられたのは、誰かの評価で自分の価値を測らず、「好きなことに奔放でいる」洋子さんのあり方が、空気そのものににじみ出ていたからかもしれない。自分の心に正直にあり続ける洋子さんの姿には「自分らしさを失わないためのヒント」がたくさん詰まっていた。

8年間忘れられなかったあの絵に再会できたのは、偶然なのか、必然だったのか。もしかすると、亡くなった祖母が引き寄せたご縁だったのかもしれない。

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