人々の“思い”を刻む。〈はんことうつわ・名入れギフトの店 朝日堂〉。【十八日町】

十八日町。堂々と屋号を飾る、風格あるたたずまいの店がそこにはありました。〈朝日堂〉は、120年もの間、地域に根ざした“はんこづくり”をしてきた、印章職人のお店です。文字を刻むということは、人々の思いを刻むということ。〈朝日堂〉が刻み続けてきた歴史と、これから切り開いていく未来について今回はご紹介していきます。

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なつめ-natsume

1995年生まれ。青森県八戸市出身・在住の駆け出しライター/フォトグラファー。郷土愛たっぷりな3人組『海猫ふれんず』として、八戸圏域の魅力発信を中心に活動中。誰かが守り続けてきてくれた今ある地元を、今度は自分たちが守り、未来へ繋げることをテーマに日々成長していければと思います。

『海猫ふれんず』
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創業120年。十八日町に〈朝日堂〉あり。

「印章」という言葉、一般的にはあまり馴染みがないかもしれません。これは、きっと誰もがひとつは持っているであろう、「はんこ」を意味する言葉です。十八日町には地域に根ざした印章づくりを続けている老舗があります。ランプが優しく明かりをともす店先、風格ある看板が目印の〈はんことうつわ・名入れギフトの店 朝日堂〉です。

店内に飾られたランプシェード。オリジナルの柄で作成することができます。

〈朝日堂〉でははんこを作るだけでなく、レーザー加工機で木、革、アクリルや着色された金属などさまざまな素材に名前やメッセージを刻んだり、オリジナルのランプシェードを作ることができます。

店内に並べられた塗物や焼き物、ガラスなど季節に応じた美しい和のうつわ。

また全国各地の窯元から仕入れた和のうつわの販売も行っています。こちらは店主のご親戚であり、TVでも活躍し、「ばぁば」の愛称で親しまれた料理研究家の鈴木登紀子先生に、八戸でも京などで作られた良質な器を買える店があった方がいいのではないかとすすめられ、30年ほど前から取り扱うようになったそう。

「家族でやっています。ひとりは従業員ですが、長く働いてくれていて、おしめを替えてもらったこともあるんです。もう頭が上がりませんね」と笑うのは、4代目店主の小野澤匡洋(おのさわ まさひろ)さん。

創業120年となる朝日堂。現在は小野澤さんと、現役として職人を続ける3代目の父、母、そして店主が生まれる前から働いてくれているという従業員の計4名でお店を切り盛りしています。もともとは長野県で印章業をしていたという小野澤さんの曽祖父が、戦争をきっかけに八戸に疎開。そして祖父が〈朝日堂〉として開業し、現在まで受け継がれてきました。

 

「家業を誇らしいと思えた」。印章業を継ぐということ。

はんこの素材である牛角の黒(左)と白(右)。角の模様そのままの美しい筋が入っています。

人生の節目に作るはんこは、私達の財産を守る大切なもの。そのため、はんこづくりの際はお客さんが納得するはんこを提供できるよう、お客さんとともに素材や書体、サイズなどを直接相談しながら作り上げていくそうです。

素材などが決まったあとは、タブレットを使用してはんこの下書きとなるものを作り、機械で荒彫り。そして職人が印刀を使用して手作業で文字の形を調整し、彫り上げていきます。

先代が師匠から譲り受け、60年以上使っているという印刀。

店主の小野澤さんが印章を手掛けるようになったのは28歳くらいのころでした。修行をはじめた当時は、彫ってはダメ出しされ、彫ってはダメ出しされの繰り返し。理論だけではない、感覚的な部分も大切な印章職人。与えられたアドバイスは「ここはもっと“びよん”としたほうがいい」だの「“びゃー”っとやりなさい」だのと、まるでわけが分からなかったんだとか。

歳の離れた兄と姉がおり、末っ子なのだと教えてくれた小野澤さん。家業を継ぐことを考えたことはなかったといいますが、兄の就職が決まったときは手放しに喜んだそう。

「あれ、家はどうなるんだ?」ということには、あとから気づきました。大学では化学を学び、卒業後はバーテンダーを目指していたため、八戸に帰ってからは実家で昼夜逆転の日々を送っていました。しかしそんな生活がまるで居候のようだと、だんだんきまりが悪く感じはじめたというのが、はんこ作りに関わるきっかけに。

大学で学びを深め、外の世界を見た自分だからこそ気づいた業務の効率化を提案するようになり、ふと「後を継ぐ道もあるのか?」と感じたそうです。思えば、印章業の仕事をきちんと見たのも、このときが初めてだったと小野澤さんは言います。

書道や絵画などに押される落款印(らっかんいん)を彫る三代目小野澤旭堂(きょくどう)さん。

「手伝いはじめてみれば、ものづくりは楽しく、出来上がったはんこを受け取るお客さんの反応に誇らしさを感じるようになったんです。だから先代に後を継がせてくださいとお願いしました」

先代であり父でもある、三代目小野澤旭堂さんは、高校卒業後に上京して修行を積み、25歳のときに朝日堂を継いでこれまでの間支えて続けてきました。そんな父は「やりたいんだばやればいい」といった反応。喜んでいるのかどうかもわからない、むしろ最初はしぶっていたと小野澤さんは笑います。

 

先代の技術を受け継ぎ、新たな未来を切り開く。

そんな小野澤さんの座右の銘は継往開来(けいおうかいらい)。今までの歴史や技術を受け継ぎつつ、お客さんのニーズに応えられるよう新しい提案をし続けることを常に心がけています。その言葉通り、今でも悩んで手が止まったときは先代たちが作ってきたはんこと何度も向き合い、文字を刻んでいくそう。

そのうえで、タブレットやレーザー加工機を導入するという新しい挑戦により、お客さんにより良いサービスを提供し、文字を刻むという仕事の幅を広げてきました。名入れやゴム印の場合は、お客さんと一緒にデザインを確認しあいながら即日商品を提供することができます。

先代たちが残してきたはんこの下書き(印稿)。

また、これまでは着色した金属にしか行えなかった名入れ。最近は無垢の金属にも挑戦し、その成功率は6割にまでのぼりました。何度も挑戦し、そのたびに考え、調整を重ねながら精度を上げていく実験の繰り返し。そこには学生時代に得た化学の知識が活かされています。そして常に新たな挑戦をし続ける日々に、ものづくりの楽しさを感じているそうです。

無垢の金属に刻まれた文字。SNSでも「作ってみたシリーズ」と題してさまざまな挑戦を発信中。

「考えぬいて、試し続けて、ぴったりとはまったときがやっぱり面白い」

先代たちから受け継いできた知識や技術と、新たな知識や道具とをかけあわせ、試行錯誤を続けていく小野澤さん。そこにはお客さんの“贈りたい”という気持ちに応え、形にしてみせるという強い思いがありました。

 

たいせつな人への思いを、一生ものの贈り物にする。

ゴム印や名入れ、ランプシェード作成などに使われるレーザー加工機。

〈朝日堂〉では名入れの品を贈り物として依頼するお客さんが多いそう。なかには思い出の品を持ち込み、綺麗に刻まれた名前に感動の涙を流す人がいたり、明日八戸を去るという上司へどうしても贈り物をしたいという問い合わせに応え、夜遅くに店を開けたり。そこには多くのドラマがあったといいます。

「プレッシャーを感じることももちろんありますが、そんな特別なひとときに立ち会うことができる。そしてお客さんの喜んだ顔を見ることができる。そんなところに、やりがいと、ものづくりの根幹を感じるんです」

名前を、文字を、刻むということは、“思い”を刻むということ。
お客さんの思いが刻まれた贈り物は、お客さん自身の、そして贈り物をもらう人にとっても一生の思い出になりえます。

「一生ものとなる、はんこを作りたい。大切な人に、思い出に残るような贈り物をしたい。持ち込みの相談も、ノープランで来ていただいても大丈夫です。ここに来たらなんとかしてもらえる。納得いくものを一緒に作ることができる。そんな場所が地元にあるということを知っていてほしいです。どうぞお気軽にいらしてみてください」

デジタル化が進み、全国的にも縮小の一途にある印章業。「先がない業界」かもしれない、いつか先代もそうこぼしたことがあったそう。それでも、人生の節目で押印するという日本人が続けてきた慣習、はんこ文化は残るはず。小野澤さんは先代が作り続けてきた「印章」の技術を受け継ぎながらも、文字を刻むことを軸に新たな挑戦をし続けます。120年もの間、地域に寄り添い続けてきた〈朝日堂〉はこれからも八戸の人々の思いを形にしていくのです。

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