八戸市出身の佐々木佳子さんが、「赤井英和の嫁 佳子」になるまで。

八戸出身者や、八戸にゆかりのある方、または一度も来たことのない方でも……。八戸にまつわるエッセイやコラムを寄稿いただく企画です。初回に登場いただくのは、八戸市出身の赤井佳子さん。

writer
栗本千尋-chihiro-kurimoto
『はちまち』編集長。1986年生まれ。青森県八戸市出身(だけど実家は仙台に引っ越しました)。3人兄弟の真ん中、2人の男児の母。旅行会社、編集プロダクション、映像制作会社のOLを経て2011年に独立し、フリーライター/エディターに。2020年8月に地元・八戸へUターン。

Twitternote

「赤井英和の嫁 佳子」さんへエッセイの寄稿依頼を出すまで。

Twitterのタイムラインに、「赤井英和の嫁 佳子」さんのツイートがたびたび流れてくるようになったのは、今年の初夏くらいのこと。

元プロボクサーで、俳優、タレントである夫・赤井英和さんの観察日記のような、日常を綴ったツイートがめちゃくちゃバズッている……! 気になったのでプロフィールを見てみると、

「青森県八戸市出身」とある。
八戸市出身の佳子さんが、いかにして赤井英和さんと出会い、「嫁」になったのか。そのことが気になったので、ダメ元で『はちまち』へのエッセイの寄稿を依頼することに。

「赤井英和さんとのなれそめや、八戸の思い出などを中心に、少なくとも1,500字以上あると嬉しい」とお伝えしたところ、「書いてみます!」と快諾いただけた。

しかし数日後、「赤井との出逢いだけで1,500字いっちゃったんだけど、どうしましょう?」と電話が……。「ひとまず送ってください!」と話すと、赤井英和さんとの濃厚な出逢いが記された、手書きの原稿用紙が届いた。

以下、佳子さんの原稿用紙の書き起こし。

 

「グチャグチャのベロンベロンのフルチンのこの男の人に、私は一目惚れをしてしまった」

ガチャッとドアが開くと、真っ暗な部屋の奥の方に誰か立っている。髪はクチャクチャ、フルチンにはだけた浴衣、腰ひもは胸のところまで上がっている。

ヨタヨタとドアの方に近づいてくる。「誰?」って、それはこっちのセリフだ。

これが、旦那“赤井英和”との出逢いだ。

その日、昔からの知り合いから電話がかかってきた。久しぶりのお誘いに、ふたつ返事ででかけた私に、知り合いは「今日、赤井が来てんねん」と言う。

赤井……? 誰だ……? 知らないナー、でもまーいいかと思い、知り合いとその赤井という人が待つホテルに向かった。

聞くとその赤井という人から呑もうと誘われたらしい。部屋に向かう途中で「赤井知ってるやろ?」と言われ、本当は知らなかったが、あーうんうんと話を合わせた。私が会いたかったのは、今日誘ってくれた知り合いで、その赤井という人ではなかったからだ。

ホテルに着き、部屋のドアをノックした。返答がない。

大きめにドンドン! とやってみた。何度もドンドン! とやったがまったく部屋の中に誰かいる気配が感じられない。

今度は廊下から部屋にかけられる電話で、延々コールしてみた。

出ない!

「きっと部屋にいないと思う」と知り合いに言うと、「いや、赤井はそういう奴や」と言う。結局、ホテルの方に、もしかしたら具合が悪くなったのかもしれないからとお願いし、ドアを開けてもらった。

いた。

そして自分で人を呼んでおいて、待ちくたびれて部屋の冷蔵庫のお酒を呑みほし、ベロベロになって「誰?」と出てきたのが赤井との初対面だ。

“この人は一体どうしたんだ。何でこんなにグチャグチャになってるんだ。誰だこれ”

が、私の第一印象。しかしだ、しかしグチャグチャのベロンベロンのフルチンのこの男の人に、私は一目惚れをしてしまった。

なんでそんな状況で一目惚れ? と言われるが、何だかものすごくかっこよかった! アフリカのサバンナでライオンに会ったような衝撃だった。

ただ、私はその時点でこの赤井英和という人が何者なのかまったく知らなかった。

さー、3人で呑みはじめた途端、赤井は私たちに帰ってほしそうだ。自分はもうさんざん呑んでいるので、寝たいのだろう。早々に失礼した。

ただ、いる間ずっと「東スポもって来てくれはりました?」と言っている。よっぽど大事な記事が載っているのだろう。一目惚れした相手だ、私は何とか力になりたくて、それからスポーツ紙をさがしてまわり、その新聞に自分の電話番号を書いて、さっき出た赤井のホテルの部屋のドアの下から差し入れて帰った。

次の日電話がかかってきた。

「誰?」

昨日のことは覚えていない様子だった。

そっから私がどれだけ頑張ったか、押して押して押しまくった。

途中で俳優をしているということがわかったが、私にとってそんなことはどうでもよかった、とにかく好きだ! という気持ちだけだった。

そののち、結婚したあと、私の卒業した八戸東高校に二人で遊びに行った。当時は女子校でちょうど“高校教師”や“人間失格”というドラマをやっていた頃で、学校は女子の悲鳴で大変なことになった。

今でも赤井と八戸へ行くときは三日町のホテルに泊まったり、私の実家の近くの中華料理屋さんでごはんを食べたり、気軽にウロウロしている。

で、ほら、こんな感じで
 終わっちゃうんですヨー

 

赤井佳子さんにインタビュー。

ツイートを見て佳子さんの文才を感じていたが、やはりエッセイはめちゃめちゃ面白い。ただ、『はちまち』は八戸中心商店街のメディアなので、なんとか八戸のエピソードも聞き出したい。この続きはインタビューさせてもらうことにした。

以下、佳子さんへのインタビュー。

ーー最初のころは赤井英和さんをご存知なかったんですね。

佳子さん(以下、佳子):見ればわかると思ったけど、見てもわからなかったんですよ。一人暮らしの家にはテレビがなかったですしね。赤井が私の7つ上なんですけど、ボクシングをやっていたとき私は東高に通っていたと思います。八戸ではボクシングもあまり身近じゃなかったし、最初に会ったときは、まったくわからなかった。

ーー赤井さんと出会ったのは何歳くらいのときだったんですか?

佳子:東高を卒業してから東京の音大に進学したんですが、そこを卒業して3〜4年くらいだから、26歳くらいのときですかね。

ーー寄稿いただいたエッセイには「とにかくアタックして」と書いてありましたが、どんなふうにですか?

佳子:あのころは赤井が大阪を拠点にしていて、仕事があるときは東京のホテルに泊まっていたんです。ケータイがない時代だったので、家の電話番号を書いて渡して。なんとか赤井の「電話するたくさんのうちの一人」としてリストに入ったんですけどね。向こうから電話はかかってくるけれど、こっちから電話する方法はないんです。

どこのホテルに泊まっているのかはわかるものの、いついるかはわからない。しかも、下の名前もはっきりわからないっていう(笑)。向こうから電話がかかってきたら会いに行くっていう生活を送っていました。

ーー赤井さんが生活の中心になっているような感じ。

佳子:そう。私、そのときピアノの講師をしていたんですけど。子どもたちにピアノを教えるための楽譜や教材、最低限の着替えをいつも持ち歩いてて、外出先から家の留守番電話を聞いて、赤井からメッセージが入っていたら、即効会いに行くっていう方式でしたね。

写真はイメージ。

ーー出先からでもすぐ会いにいけるようにしていたんですね。

佳子:家に帰っている場合じゃないのよ、だって早く行かないと一番になれないから! とにかく全部の荷物を持ち歩いて、外から何回も留守番電話を聞いて、会いに行く。

ーー家の留守番電話を公衆電話から再生できるサービスがあったころですね。教材を持ったまま赤井さんに会いに行っていた。

佳子:大荷物だけど、走らないと間に合わないかもしれないから必死でしたね。やったーって間に合うときもあれば、ダメだったときもあった。

佳子さんのツイートでも「好きな人がいたら気持ちを伝えよう!」と話していたけれど、実体験だったのか……。

ーーそこから、正式にお付き合いしようっていう話はあったんですか?

佳子:そこを話すと長いんですよ。私は大好きだけど、別に「結婚してほしい」って言われたわけでもなんでもないのに、大阪の実家に勝手に押しかけて……。

ーー!!? 

佳子:(笑)。大阪のお父さんとお母さんが住んでいるところに行ったんですよ。でも、全然歓迎されなくて……、当たり前ですよね。今考えると当たり前なんですけど、喜んでもらえると思って私は行ったんですね、仕事もやめて。一回だけ実家に行ったことがあったので、「行くことにしました」って電話して。

「いや、行くことにしましたって、いらんいらん、誰、誰」ってなったんだけど、「もう引っ越し頼んじゃったので」って、押しかけていったんです。

あ、ちょっと待ってくださいね。赤井が帰ってきました。

赤井さんご本人だ……!

佳子:八戸の栗本さんって編集の方で、今取材をズームで受けているの。

赤井さん:こんにちは。よろしくお願いします。では。

ーーお二人のなれそめを聞いております! よろしくお願いします。

 

大阪のお父さんからは「出ていってくれないか」と毎日メモ書きを残されていた。

ーー(インタビューに戻る)大阪にある赤井さんのご実家に押しかけるという奇行に走ったのはなぜ……。

佳子:今となっては、東京にいるときに会えばよかったじゃんって思うんですけど……(笑)。赤井は前に結婚していたときあったのですが、「実家には一緒に住めなかったんだ」って話しているのを聞いたことがあったんです。「そうか、結婚したら実家で一緒に住みたいんだ!」と思って、勝手に行ったんですよね。

お父さんからは毎日メモ書きで「出ていってくれないか」ってメッセージを残されていました。そりゃそうですよね。「まぁまぁ、大丈夫です」なんて言ってたけど、大丈夫じゃないですよね。

写真はイメージ。筆者の義父に書いてもらったもの。

ーー大丈夫じゃないですね(笑)。強い。そこからどうやってご結婚まで?

佳子:すぐに子どもができて。結婚していないし、赤井は東京にいるし、私はお父さんお母さんと一緒にいるし。赤井の両親には「出ていってほしい、英和と二人でいたらいいじゃないか」って言われて。そりゃそうなんですよ(笑)。

事務所の社長さんとかにも、「今せっかく売れてきたときなのに、なんでそこにいるの。好きに付き合ってもいいけど、せめて実家から出て行きなさい」って言われていました。

でも、お父さんとお母さんを喜ばせなきゃって思って、「大丈夫なんですー」って言ってて。

赤井は大阪に戻ってきても実家に来ないし、友達のとこに遊びに行っちゃうんだけど、あるとき大阪のお父さんがしびれを切らして「お前どないすんねん、結婚するんか」って言ってくれて、「しようかな」「するんやな」って、お父さんが婚姻届を持ってきてくれたんです。

ーー八戸のご実家にはどんなふうに赤井さんを紹介されたんですか。

佳子:大阪へ行く前に、「私、好きな人がいるんだけど」って実家に電話していたんです。「そうなんだ、どんな人だ」って聞かれたので、「付き合っているわけじゃなくて私が好きで。ボクシングをやっていた人らしいんだけど、今は役者の仕事をしていて、一回結婚して子どもはいるんだけど離婚している」と答えていたら、それまでのうんうんって相槌が聞こえなくなって。

「大事な娘を預けるには、どこも賛成するポイントがなかった」と。

それでも「大阪に行こうと思う」って言ったら、「なんで行くんだ、頭おかしいんじゃないか」と言われました。

両親は、「もううちの娘でも何でもない、好きにしろ」って言ったら諦めると思ったみたいなんですけど、「いい人なんだけどな、そっかそっか〜、わかった〜!」って電話を切って、大阪に行きました。

そのほうが、みんなが幸せになれると思っていたんですよね(笑)。 

ーー(笑)。初めてお二人で八戸に来られたのは?

佳子:両家で顔合わせをする前に、赤井が八戸に来てくれたんですけど、すっごい嫌な雰囲気でしたよ。「娘さんをください」じゃなくて、「なんか、結婚することになりました」みたいな感じで報告したので、「すべての順番がおかしいじゃないか」って言われて。私も両親を「まぁまぁまぁ」ってなだめて。

そうだ、こないだ写真整理してたら、櫛引八幡宮でおみくじを引いてる写真が出てきたんですよ。あのとき父の車に乗せてもらったから、父が撮ったんだと思うんですけど……、まったく賛成されてない険悪な雰囲気なのに、私は楽しそうにしているんですよね。

若かりし日の二人。佳子さん楽しそう!

ーーそこから、ご結婚されて家庭を築いていかれるわけですけど、しばらくはわだかまりがあったんでしょうか。

佳子:何年も許してもらえなかったです。「孫はかわいいけど、別に許したわけじゃない」って感じでしたね。

ーーお子さんを出産されたときも、里帰りはしなかったんですか?

佳子:里帰りせずに大阪で産んだんです。私は八戸に帰るチョイスはないと思っていたし。通っていた大阪の病院で産みました。

赤井は仕事が忙しかったので、私は初めての出産と子育てを赤井のお母さんと一緒にやるっていう(笑)。

佳子:赤ちゃんをお風呂に入れるとき、自分も裸になりますよね。裸のまま、大阪のお母さんに「泣いてるので受け取ってください」って渡して。ギャーギャー泣いてる赤ちゃんを受け取ったお母さんは、「うちも忘れたわ、赤ちゃんのこと」って言いながらも手伝ってくれました。

ーー赤井さんと、というよりも義理のご両親と先に家族になっていったみたいですね。

佳子:そうそう。お箸と湯呑み茶碗を買ってもらって、……いや、歓迎されてないけど、ないと困るっていうので買ってくれて、それで、3人でごはんを食べていました。

赤井は私の7つ上で、3人兄弟の一番下なのもあって、義理のお父さんとお母さんは、私にとっておじいちゃんとおばあちゃんみたいな感じの年齢だったんですよね。

先に赤井さんのご両親と家族になったみたい、と話す佳子さん。今では赤井さんと顔がそっくりな家族に。

 

佳子さんの、八戸での思い出の場所。

ーー『はちまち』は八戸中心商店街のウェブメディアなのですが、八戸の中心街に思い出はありますか? 東高ご出身ということなので、バスに乗るためにきっと中心街を通っていましたよね。

佳子:東高の斜め向かいにある〈戸田菓子舗〉は、思い出深いお店です。家が厳しかったので、通学の範囲内で行ける唯一の場所だったんですね。あのころ、何を食べてたかな。シュークリームとか食べてた気がする。何でもおいしくて、大きくて、大好きでしたね。

私は高校生のときに旭ヶ丘に住んでいたんですが、東高からバスで家に帰るまでの間で、親にごまかしのききそうな20分くらいでここに寄るのが、最高に喜びのルートでした。

ーーほかに赤井さんと行かれた場所として、中華料理屋さんについても書かれていました。

佳子:旭ヶ丘にある〈ちゃぷすい〉ってお店です。行くと、回鍋肉とか酢豚とかが定番で、たくさん頼みますね。

あとなんか、飲み屋街ができたじゃないですか。あ、〈みろく横丁〉か。そこで同級生がお店をやっているので、何軒か行ったり。

佳子:あと、栗本さんのところの『はちまち』でも読んだんですけど、〈プリンス〉に行ったりしました。まちなかだと、赤井とはあのへんに行ってますね。

ーー八戸から離れて長いと思いますが、佳子さんにとって八戸ってどんな存在ですか?

佳子:私、大学生のとき、訛っていたから「八戸ちゃん」って呼ばれていたんです。ほっぺは真っ赤だし、田舎者丸出しだったんでしょうね。それがすごく恥ずかしくて。東京で美容室に行ったとき「どこ出身なの?」って聞かれると、「八戸」って素直に言えずに「東北です」って言ったことがあって。「東北のどこ?」って聞かれて「仙台です」と嘘ついたりして。

ーーあぁ、上京したときに私も訛りを隠すようになったので、気持ちがわかります。

佳子:結婚してからも八戸にはしばらく帰れないでいたんですが、久しぶりに八戸に行ったとき、なんて海が素晴らしいんだろうって思ったんですね。種差海岸のほうで、展望台があって、ソフトクリームを売ってるところわかります? 

ーー葦毛崎展望台にある〈ホロンバイル〉ですね。

佳子:小さいころ、父がよく日曜になるとドライブに連れていってくれて。だから今でも、実家に帰ったら、あそこでソフトクリーム食べるの。

佳子:それから遊歩道を歩いていくと、植物がたくさんあって、なんて素晴らしいんだろうって。昔は普通だと思ってたけど、すごいじゃん! ってなって。今となっては、八戸にしょっちゅう帰りたいんです。八戸に住みたい。

ーーえー! 住んでほしいです(笑)。八戸に住んでいても、自分の街に誇りを持てていない人もいるように感じているのですが、佳子さんのように、外に出られた方に魅力を教えていただくと、誇れるようになるのかなと感じます。

佳子:わかります、私も何もないと思ってたから。でも、それって私が何も知らなかったからなんです。だって、家と東高の往復だけだったから(笑)。

小さいころは鮫に住んでて、近くに魚菜市場があって。おじいちゃんが市場の中でお仕事してたので、いつも魚を食べていたけど、特別おいしいと思ったことはなかったんです。でも、今になって、ああいうふうにお魚食べたいって思うようになりました。

佳子:八戸にいたときは、魚って一人でまるまる一匹食べるものだったのに、東京だと、なんの魚だかわからないような切り身にしてあるのが当たり前なんですよね。イカも、なにイカかわからないくらいの刺身になってて。若いころは、東京でお刺身をちょっと食べるのがかっこいいと思ってたけど、今はいっぱい食べたい!

ーー離れてみて初めて、地元の食材の豊かさがわかることってありますよね。

佳子:そう思います。三日町のおばあさんたちが売っている餅みたいなのを母が買ってくるたび、「こういうのじゃないのが食べたい」って思ってたけど、今となっては帰るとかならず買っちゃうんです。それくらい八戸が染み付いている。

八戸には、山も川も海もあって素晴らしいですよ。いちいち、どこかのリゾート行かなくたって、美しい景色が見られるんだから。

 

おわりに。

八戸市出身の女性が、いかにして「赤井英和の嫁」になったのかーー。そんな疑問からはじまったこの企画。コラム→エッセイの寄稿→インタビューのような、異例の記事形態でお送りした。

ツイートで感じでいたユニークさは、佳子さん自身の面白さでもあることが、あらためてわかった。インタビュー中もサービス精神旺盛で、何にでも答えてくれたし、その人柄にいつのまにか惚れ込んでいた。この記事を公開前にチェックしていただいたときも、「全部上手!」と褒めてくださった。好き……。

「ピアノの教材と着替えを常に持ち歩く」、「付き合ってもいない人の実家に押しかける」、さらに「居座る」など、数々の奇行さえも、愛おしくなってしまうような佳子さんの人柄が、八戸で生まれ育ったことに何かしら影響を受けているのだろうか。


これからもいち八戸市民として、佳子さんのいちファンとして、ツイートを見守っていきたいと思う。

▼プロフィール
赤井 佳子(あかい よしこ)
青森県八戸市出身。俳優・赤井英和の妻でマネージャー。夫の日常を切り取ったツイートが話題に。初の著書となる『赤井図鑑』(扶桑社)を11月17日より発売予定。書店、Amazonほか、インターネット書店で予約受付中。
Twitter:https://twitter.com/yomeyoshiko224
YouTube:【公式】おおきに赤井英和

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