憧れていた編集者としてのターニングポイントが、あんなに離れたかった八戸になるなんて。/『八戸本』“出張”編集後記

ちまたで話題の『八戸本』(発行:EDITORS、発売:二見書房)が好評発売中です。2022年12月に発売を開始したばかりですが、なんと早々に重版が決定したそう。記念企画として、八戸市出身の編集担当・大津愛さんが、『はちまち』へ出張。編集後記を寄稿してもらいました。

writer
栗本千尋-chihiro-kurimoto
『はちまち』編集長。1986年生まれ。青森県八戸市出身(だけど実家は仙台に引っ越しました)。3人兄弟の真ん中、2人の男児の母。旅行会社、編集プロダクション、映像制作会社のOLを経て2011年に独立し、フリーライター/エディターに。2020年8月に地元・八戸へUターン。

Twitternote

雑誌編集者。

私が一番なりたかったものである。

八戸。
離れたくて仕方なかった私の地元である。

これは地元出身の『八戸本』編集者の小さな物語。

 

八戸を出たくて、離れたくて仕方なかった10代

父と二人暮らしが始まったのは5歳の時。父の生まれ育った八戸で家族3人暮らしていたけれど、母は離婚後に家を出て関東へ移り住んだ。でも、家のすぐ隣には祖母が暮らしていたし、飼っていたミニチュアダックスフンドはきょうだい同然だったから、寂しくはなかった。

その後も、母とはちょこちょこ会っていた。夏休みや冬休みは母のもとで一週間ほどお泊りプチ旅行をするのが定番になっており、その期間は関東で遊べることがとても嬉しかった。

当時の八戸駅はまだ新幹線が開通していなかったため、三沢空港から羽田空港までは飛行機を使った。あんなに巨大な空港にいるだけで十分楽しいし、空が見えないほど巨大なビルが立ち並ぶ都会の風景も、人で埋め尽くされている竹下通りも、何もかもが異様にキラキラして見えた。

2002年、東北新幹線の八戸駅が開業し、より便利に東京まで行けるようになった。
母と都会でたっぷり遊んで、一人で八戸へ帰ってくるたびに、“ここには何もない”。そう思っては、沈んでいた。この気持ちはいまでもはっきりと覚えている。なんというか、虚無感のかたまりだ。

新幹線の改札を抜けて、外に繋がるエスカレーターを降りている時、迎えに来てくれたおばあちゃんの車に乗っている時、窓から見慣れた馬淵川が見えた時。そのすべてが夢から覚める瞬間で、涙がほろりと流れたこともあった。

絶対に上京する。そう強く心に刻んだのは、この頃だった。

駅までの送り迎えはおばあちゃんが担当

 

憧れは全部、都会と雑誌の中にあった

高校3年生になると、夜行バスに乗って東京へ「買い出し」に行くことを覚え、八戸ではほとんど服を買わず、年に数回のこのビッグイベントにすべてを賭けていた。
早朝6時、東京駅八重洲南口にバスが到着すると山手線で移動し、『渋谷パルコ パート2(現在は別のビルに改装)』の玄関前で、化粧をした。

平成7年生まれは懐かしくて震えるであろう、「ココルル」やら、「リズリサ」やら、「セシルマクビー」やら……、当時一世を風靡していたギャルブランドを爆買い。
腕いっぱいにショッパーをぶら下げて、バスに乗って帰郷した。

当時の私は、ユニバースの雑誌コーナーで毎月必ず『Ranzuki』、『Popteen』、『egg』を買い漁った。いわゆる“ギャル雑誌”を隅から隅まで熟読。

バックナンバーも大事にとってあったし、お気に入りのモデルが写っているページをスクラップにして部屋に飾っていた。友達と家で遊ぶ時も、持っている雑誌を交換し合って無言で読み込んでいたし、SNSなんかより雑誌の世界の方がずっと夢があって楽しかった。

いまでも大切にとってある『Ranzuki』のバックナンバー。お守り代わりにデスクに一冊置いている。

そして進路を決めるタイミングが来た。
今世紀最大規模の大喧嘩を父とした末、担任の先生が三者面談で私の意思を尊重してくれたおかげで、遂に関東の短大へと進学が決まった。(伊藤先生、ありがとう!!)
父はどうしても一人娘に八戸に残ってほしかったそうだ。(父、ごめん!!)

短大があるのは関東とはいえ、東京まで電車で2時間かかる場所だったが、夜行バスに10時間乗り続けていた者からすると“東京はすぐそこ”という感覚で、とにかくエンジョイした。

短大生時代、アパレルショップでアルバイトをしていた時のプリクラ

 

夢を叶えた直後に出版社が倒れる

短大卒業後、東京で衣料品メーカーの販売員として就職した。これにて正式に“上京”という夢は叶ったものの、「本当にやりたいこと」に蓋をしていた自分に、少し違和感を覚えていた。

本当は、高校時代から憧れていた“雑誌を作る仕事”をしてみたかったけれど、自信も、チャンスも、タイミングもなかったことを言い訳に、挑戦することはなかった。しかし新卒から2年後、雑誌に特化した広告代理店の営業職へ転職すると、“雑誌”にちょっとだけ近づいた気がした。それからさらに2年後、トライするならいましかない! と、もはや記念のつもりで出版社に履歴書を送ってみたら、ありがたいことに採用してもらえたのだ。

その会社はエイ出版社といって、バイク、アウトドア、スポーツ、ファッション、ライフスタイルなど幅広い分野の専門雑誌や趣味の本を数多く発行していた出版社で、年間出版点数は約600点以上。代表される雑誌として『RIDERS CLUB』、『Lightning』、『2nd』、『NALU』などがある。

後からなぜ私を採用してもらえたか上司に尋ねると、“なんだかよくわからないけど、とにかく雑誌が大好きな田舎娘”という、面接で残したインパクトに賭けてくれたらしい。感謝感激である。

こうして念願の、雑誌編集者デビューを果たし、毎日目まぐるしいスピードで業務をこなしていた。

……が、働きだしてまだ半年というタイミングで、その出版社がまさかの民事再生になってしまった。ありゃりゃ。自分のついてなさと、好きだった出版社がなくなることが悲しくて、ちょっと泣いた。

その後、一部出版事業を譲受した後継会社として、いまの会社(EDITORS)が立ち上がった。ありがたいことに、編集者として歴の浅い私も仲間に誘ってもらえた。こうして、雑誌作りを続けることができた。

そして2022年12月、遂にあの本が発刊される。

 

編集者として八戸に帰ってきた

エイ出版社には「街ラブ本シリーズ」と呼ばれる本があった。これは、暮らす人、働く人、その場所を故郷に持つ人、その場所を愛するすべての人に捧げる、地元の人に読んでもらうための本だ。一作目の『町田本』を皮きりに、いままで全国80以上の都市を舞台に発刊されてきた。

その最新作が『八戸本』である。エイ出版社の頃から『八戸本』を作る構想があり、「八戸本をいつかやるよ」と言われていたのだが、民事再生など様々な事情で発刊のタイミングが延びていた。そしてようやく、2022年の発刊が決まった。

80冊以上発刊されている「街ラブ本シリーズ」

この本の制作は私にとって大きな大きなプロジェクトだった。脳内では常に八戸万博開催中。どこにいても、何をしていても、寝る前も『八戸本』のことを考えては不安に襲われ、本の構想を妄想してムフフとなり、また不安に襲われるという謎ループ。

私一人で作るわけではないのに、なぜか一身にプレッシャーを背負うような気持ちだった。
だって、私の地元の本だから。絶対に失敗するわけにはいかないし、ここは遠慮せずどんどん意見を言わなくちゃ!

そう意気込んでいたら、本の土台となる台割を組むところから任せてもらえた。
それもまた嬉しくて、嬉しくて、張り切った。

 

台割だけでなく、もちろんラフも描いた。ラフはページに入る要素を書き出した構想図。

実際に完成したページ。

 

関わるすべての人が、八戸愛炸裂

この一冊が出来上がるまで、本当にたくさんの人々の協力があった。

人を繋げてくれたり、ライターやカメラマンとして一緒にお仕事をしてくれたり、誌面に出演してくれたり……、スポンサーとして協力してくださった企業さんや、本をたくさん仕入れてたくさん売ってくださった書店さんにも頭が上がらない。

八戸愛にあふれた関係者一人ひとりを、この場を借りて紹介したいくらいだ。
地元の皆様の協力があってこそ、刊行できた本である。

小さい頃よく見ていたはずなのに、こどもの国の巨大親子土偶にテンション爆上がり。

取材期間に何度も訪れた『洋酒喫茶プリンス』では名刺を飾ってきた。

元々大好きな酒場『酒肴だるま』の超巨大ウニをアテに日本酒がすすんだ夜。

グルメ、歴史、建築、文化……八戸をぎゅっと一冊にまとめた本作だが、実は編集部の個性もぎっしり詰まっている。

例えば、老舗の名品を紹介する「あのみせのこの名品」企画の担当者は、とにかくアポ取り(取材許可)に苦戦していた。

八戸で絶対に外すことができない超名店、昔から評判のあのお店も、ことごとく取材NG。
そりゃあそうだ。いきなり東京の出版社から「こんな本を出すので取材させてください」と電話をかけて来られても、正直よくわからないだろう。それに取材どころではない、お店の都合だってある。担当編集は途中で心が折れそうになりつつも、取材の合間に直接取材交渉をするために駆け回って、頑張っていた。
その編集者のアツい想いは、この企画のラスト1ページでみっちり語っているので、ぜひご一読を。

一方で、ベテラン先輩編集者が担当した「八戸屈指の名店」企画や、バーの文化を深堀した「陸奥のディープバータウンへ。」という企画もぜひゆっくり読んでほしい。

日本中のグルメを食べ歩いてきた先輩たちの視点から八戸を映し出している。写真は言わずもがな、キャッチコピーもレイアウトも全部カッコいい。美味しそう。行ってみたい!!
やっぱり一枚一枚紙をめくるたびにワクワクする、紙媒体って本当にいいな。そう思わせてくれる。

編集部イチの呑兵衛編集者は、八戸酒造と八戸酒類の取材を存分に楽しんできたようだ。編集部にお土産にと、一升瓶を担いで帰ってきた。ヨ、さすが!

この本をきっかけに初めて八戸を訪れた編集部の仲間からは、
「八戸が地元なんて羨ましい!」そんな嬉しい言葉をたくさんもらった。

こうして地元の方々の協力とチーム一丸となって作られた『八戸本』は、ありがたいことに発売から1カ月も経たずに重版が決まった。一生懸命売ってくれている書店さんの『八戸本』特設コーナーを見るたびに涙腺が刺激される。そしてこの一冊を読みたいと思って手に取ってくれる読者がいる。それだけで刊行して本当によかったと思えるし、この本をきっかけに「地元やっぱ最高だなあ」と感じてもらえたら嬉しい。

伊吉書院 八戸西店

成田本店 みなと高台店

カネイリ 番町店

書店さんに配ったパネルは編集部全員で手作り。

 

「八戸本」をきっかけに、変わり始めた

八戸を飛び出してから『八戸本』が刊行されるまで約8年。憧れていた東京の暮らしはやっぱり楽しいし、仕事にもやりがいを感じている。だけど8年前といまでは、変わったことが一つだけある。

地元を誇りに思えるようになったことだ。

早く地元を離れたい、ここには何もないと思っていた10代の頃は、八戸を知ろうとしていなかったと気づいた。18年も住んでいたのに、そこに目を向けることがなかったなんて、いま考えると本当にもったいない。だけどそれがいま身をもって感じることなのだ。

編集者として地元の本を作ることになり、地元の人とたくさん関わったり、歴史や建造物を取材したり、ここでしか食べられない食に出合ったり。

八戸って、やっぱいいところだなあ。

ちょっと薄っぺらい言葉に聞こえるかもしれないが、マジで地元最高って思う。

そしてこの本をきっかけに、いままで取材する側だった自分が、初めて取材される側にもなった。

こうして『はちまち』に寄稿させてもらえたことも嬉しいし、新聞社からの取材も、ラジオ番組にゲストで呼ばれたことも全部初めての経験だ。建築の企画で取材させていただいた担当の方からは、「今朝の朝刊に八戸本の記事が載っていましたよ」と画像付きの親切なメールもいただいた。なんて温かいのだろう。

いま、『八戸本』をきっかけに私の人生がちょっとずつ動き始めている。
ずっと憧れていた「編集者」としてのターニングポイントが、離れたくてしょうがなかった「八戸」になるとは。

Uターンなんて、これっぽっちも考えたことなかったのに、不思議と心のどこかに急浮上している気がする。

だけど、「気がする」と濁しているのはまだ東京で勝負がしたいから。ずっと憧れていた場所だけあって執着心があるし、いまはここでしかできない経験をいっぱい積みたい。東京から根こそぎ吸収して、肥やしにしたい。

5年前、父が心不全で他界した。あまりに急だったから、何も伝えられないまま突然のお別れとなった。出版社に勤めて雑誌の編集者になったことも、『八戸本』を作ったことも、地元の新聞社に取材されたことも、何一つ伝えられなかった。私を育ててくれた祖母はもうすぐ、86歳になる。正直、いつまで実家が存在するかもわからない。

だけど、私にはいつでも「おかえり」と迎えてくれる地元がある。
その安心感だけで、これからもっともっと無我夢中に、がむしゃらに突っ走れるような気がする。

 

▼プロフィール

大津 愛(おおつめぐみ)

1995年生まれ、八戸市出身・東京都在住。2020年に株式会社エイ出版社に転職。2021年、同社の民事再生申立てにより、一部出版事業を譲渡した新会社・株式会社EDITORSの初期メンバーとして勤務。2022年に主担当として『八戸本』を発刊。エイ出版社時代から携わっている雑誌『世田谷ライフ』では、俳優・松本まりかさんや小林涼子さんの連載、新日本プロレス・棚橋弘至さんの連載などを担当。毎年夏に開催していた「八食サマーフリーライブ」の復活を心待ちにしている。

公開日

まちのお店を知る

最近見たページ